ジョー・ディマジオの56試合連続安打
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「1941年のメジャーリーグベースボール」の記事における「ジョー・ディマジオの56試合連続安打」の解説
ジョー・ディマジオはメジャーデビューする前のパシフィックコーストリーグのサンフランシスコ・シールズ時代に61試合連続安打の記録を作り、メジャーリーグのスカウトの目に止まったのがメジャー昇格のきっかけであった。それから9年後の1941年5月15日の対ホワイトソックス戦でディマジオは4打数1安打を打った。相手は左腕エディ・スミス投手であったが、その後ディマジオは毎試合安打を打ち続けて、2カ月間途絶えることは無かった。その間の相手投手はレフティ・グローブ、ボブ・フェラー、ハル・ニューハウザー、ディジー・トラウト、メル・ハーダー、スクールボーイ・ロウなど当時の錚々たる投手たちで、ディマジオは彼らを打ち崩しながら連続安打を続けた。それまでの最高記録は1897年のウィリー・キーラーの44試合連続安打で、20世紀に入ってからはロジャース・ホーンスビーの33試合やトミー・ホームズの37試合、そしてジョージ・シスラーの41試合があったが、ディマジオはこれを超えて、やがてファンは何試合まで続けるかが話題の中心になった。「今日で○○試合に伸びたぞ」「明日も打てるかな」と寄ればこの話題ばかりで戦争の影が忍び寄り(この年12月に真珠湾攻撃から日米開戦となった)、暗い時代での明るい話題を2か月間ディマジオは提供していた。 そして7月16日に56試合連続となり、翌日7月17日の対インディアンス戦で3打数無安打に終わり記録は途切れた。最後の打席はアル・スミス投手を相手に遊撃ゴロでの併殺打で、このゴロを受けたのはルー・ブードロー遊撃手であった。そしてこの記録は不滅の記録と言われたベーブ・ルースのシーズン本塁打60本・通算本塁打714本、タイ・カッブの通算安打4191本、ルー・ゲーリッグの連続試合出場2130試合の記録が次々と破られるなかで、アンタッチャブル・レコードとして現在も光り輝いている。そして「1941年7月17日」は56試合連続安打が途切れた日としてメジャリーグの歴史に残った。
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