クラウディウス
クラウディウス
クラウディウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/20 09:28 UTC 版)
「ユリウス=クラウディウス朝」の記事における「クラウディウス」の解説
暴君という君主制の最も大きな弊害を目の当たりにした後も、民衆や元老院は帝政を倒す選択肢を採れなかった。その代わりに近衛兵隊によって、カリグラの叔父でティベリウスにとってもう一人の甥、ゲルマニクスの弟であるクラウディウスが皇帝に推挙された。 帝位継承に関する議論から元々排除されていたことからもわかるように、クラウディウスは病弱で皇帝たりうる能力に欠けるとみなされていた。しかし実際に即位すると、クラウディウスは有能な皇帝であることを示した。彼は多くの政治改革や公共建築の増強を推し進めることで、暴政の痛手から帝国を再建した。さらに外征でも大きな行動を起こし、ガリアからさらに北方にあるブリタニア島を占領して属州ブリタンニアを編成した。生真面目な性格のクラウディウスは元老院や民衆からの支持も安定し、ようやく帝政は安定期を迎えた。一説に彼は、一日に最低でも20以上の命令書を各地に書き送る日々を過ごしていたという。 反面クラウディウスは、私生活という点ではやはりそれまでの皇帝と同じく、不幸に苛まれなければならなかった。彼は生涯に3回の離婚と4度の結婚を繰り返した。晩年に結婚した小アグリッピナは、兄ゲルマニクスの長女であり、先帝カリグラの妹で自らの姪という叔姪婚であった。カリグラ時代から悪名の高かった小アグリッピナは「先帝の妹」という立場を利用して、自らの連れ子である養子ネロを、夫の実子であるブリタンニクスよりも優先して後継者とさせた(ただしブリタンニクスの生母メッサリナの悪評も考慮に入れるべきである)。 クラウディウスが病没すると、新たな皇帝となったネロはブリタンニクスを毒殺した。後に皇帝となるフラウィウス朝のティトゥス帝はブリタンニクスの親友であり、友の毒殺を悼んで自らの治世において記念像を作らせている。 何人かの歴史家は、クラウディウス自身も小アグリッピナに暗殺されたのではないかと伝えている。
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クラウディウス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/10 03:32 UTC 版)
「この私、クラウディウス」の記事における「クラウディウス」の解説
第4代ローマ皇帝で本作の主人公、語り手。吃音症であり、病弱で片足をいつも引きずっている。共和主義者。
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