共和主義
(共和主義者 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/18 01:33 UTC 版)
注釈
- ^ 古代ギリシアで用いられた民主主義を示す「デモクラティア」(ギリシア語: δημοκρατία、dēmokratía)という語は、すでにローマ時代には衆愚政治のニュアンスをもって語られ、これを批判する形でむしろ「レス・プブリカ」が広く使われるようになっていた。この思潮は近代に至るまで続き、17世紀から18世紀の西欧では、むしろ民主主義を批判しつつ共和主義を賛美する傾向が強かった。例えばモンテスキューなど当時の社会思想家は政体を君主政、貴族政、民主政の三つに分類したアリストテレスやポリュビオスの説をふまえ、それらの様々な組み合わせで政体の特徴と長短を論じ、よい混合政体を指して共和政と呼んでいた。民主政も参照。
- ^ 国民主権(ナシオン主権)において抽象的な「国民」の意思を再現すべき自由委任に基づく代表者の選出には一定の能力が必要だと考えられていたが、フランス革命期に人民主権(プープル主権)を体現した1793年憲法(ジャコバン憲法)においては主権者たる「人民」の意思は現に存在する人々の具体的な意思であり、そのため議会(国民公会)における男子普通選挙および部分的な直接民主制を採用している。前者は必ずしもイコールではないものの共和主義に連なる発想であり、後者は(狭い意味での)民主主義的な発想である。
- ^ 中江兆民は『三酔人経論問答』で洋学紳士なる人物に「立憲制(立憲君主制)より民主制の方が優れて」いるといわしめながらも「君民同治の社会」においては天皇と民権論とは矛盾しないとした。小室直樹は同一の国が同時に共和国でありかつ君主国でありうるという。この場合、外見上の制度は大統領制でなく立憲君主制であるが、立憲君主制国家が必ず共和国であるとは限らない。小林正弥は自著『友愛革命は可能か』において「近代的共和主義(民主共和制)」と「近世的共和主義」(およびそれ以前の共和主義)を区別し、近世以前の共和主義は必ずしも君主制(天皇制を含む)と矛盾しないとしている。
出典
- ^ マイケル・J.サンデル『民主政の不満 公共哲学を求めるアメリカ(上)』所収の、小林の解説による。
- ^ 「『共和主義』は、近世初頭の(イタリア等)都市国家 ― 共和政ローマも加えていいであろうが ― の在り方を典型とするところからも言えるように、貴族政と半ば本質的な連関をもつものである。」安彦一恵「『公共性の哲学を学ぶ人のために』合評会」報告
- ^ 上述の小林の解説による。
- ^ James Madison, Federalist No. 10 (1787年11月22日), in Alexander Hamilton, John Jay, and James Madison, The Federalist: A Commentary on the Constitution of the United States, ed. Henry Cabot Lodge (New York, 1888), 56.
[続きの解説]
- 共和主義者のページへのリンク