ウィーンからブラウンシュヴァイクへとは? わかりやすく解説

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ウィーンからブラウンシュヴァイクへ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/08 20:33 UTC 版)

フォクトレンダー」の記事における「ウィーンからブラウンシュヴァイクへ」の解説

3代目となるペーター・ウィルヘルム・フリードリッヒ・リッター・フォン・フォクトレンダー(ドイツ語版)(独: Peter Wilhelm Friedrich Ritter von Voigtländer1812年 - 1878年)はウィーン工芸学校学び1839年フォクトレンダー父子商会社長に就任した。ちょうどその頃ダゲール写真術発表され、たまたまパリ滞在していたウィーン大学教授のアンドレアス・フォン・エッティングスハウゼン(ドイツ語版)がその詳細知ったおりしも世界初カメラダゲレオタイプ」が発売されたがそのレンズはF17と暗く直射日光下でも30分間露光が必要で肖像撮影には苦痛を伴うものであった前出のエッティングスハウゼンは明るレンズ必要性痛感してウィーンに戻るとジョセフ・マキシミリアン・ペッツヴァール明る肖像写真レンズ設計依頼1840年にF3.7の写真光学レンズ設計を受けると、ペッツヴァールからその製造委任された。 また3代目フォクトレンダー世界初の総金属製カメラ同年末に完成1841年ペッツヴァール設計によるフォクトレンダー父子商会製造肖像写真撮影用新ダゲレオタイプ装置」として発売した。このカメラパリ万国博覧会出品され評判となり、喜んだオーストリア皇帝から3代フォクトレンダー叙勲され、後に勲爵士準男爵)に列すると「フォン」を名乗ることを許されるフォクトレンダー父子商会1849年ドイツブラウンシュヴァイク支店開設1852年転入届提出する1862年移転工場拡張し海外にも代理店を置く国際企業となった4代目となるフリードリッヒ・ウィルヘルム・リッター・フォン・フォクトレンダー(独: Friedrich Wilhelm Ritter von Voigtländer1846年3月7日 - 1924年12月1日)はウィーン生まれで父に従い1849年ブラウンシュヴァイク転居し工芸大学卒業する直ちに父の工場での実習に就きその後マイスター制度に従ってフランクフルトカールスルーエベルリンロンドンパリと旅をした。20歳のときにパリのハルナック・プラモフスキー工場製作した顕微鏡その後長年にわたり同社飾られていたという。父の病気のため1868年社長代行就任1878年その死に伴い社長に就任した4代目品質厳格で、1895年頃まで工場を出る全製品自分検査していたという。会社名声はますます高まったが、彼は驕ることなく常に同時代ライバルであるエルンスト・アッベカール・アウグスト・フォン・シュタインハイル業績礼賛していた。フリードリッヒ・オットー・ショット1886年に01209坩堝発見した光学ガラスショット社生産され、これを使用したツアイス・アナスチグマートは1888年発売。そのライセンス生産1891年開始すると、1898年1月12日にはフォクトレンダー父子商会株式会社組織改組した。研究開発にも積極的で、義兄弟ブラウンシュヴァイク工芸大学教授で後に学長となるハンス・ゾンマー(ドイツ語版)の理論的知識実地取り入れたり重役学者のダーヴィット・ケンプファー(ドイツ語版)、アドルフ・ミーテ(ドイツ語版)、カール・アウグスト・ハンス・ハルティンク(ドイツ語版)を招聘している。ケンプファー設計1896年2群6対称型コリニア、ハルティンクの設計1900年3群5ヘリアー著名なレンズ製品販売した肖像写真ダゲレオタイプ装置発売後は、ブラウンシュヴァイクへの移転などもあってか久しくカメラ製造していなかったが、1903年頃から再進出計り、「カメラの中のストラディヴァリ」(Die Stradivari unter den Kameras! )を標語とし高品質カメラ生産した2人の子どもに先立たれ4代目1924年没する創業家血脈絶えたものの、アドルフ・エーマーが社長となって会社統率した。1925年ドイツ化学大手企業のシェーリンク(ドイツ語版)が大株主となると経営活性化合理化し1926年にはスコパー発売している。

※この「ウィーンからブラウンシュヴァイクへ」の解説は、「フォクトレンダー」の解説の一部です。
「ウィーンからブラウンシュヴァイクへ」を含む「フォクトレンダー」の記事については、「フォクトレンダー」の概要を参照ください。

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