アースキン家とは? わかりやすく解説

アースキン家

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 14:51 UTC 版)

マー伯爵」の記事における「アースキン家」の解説

アースキン姓はレンフルークライド川南のアースキン英語版)に由来する。この言葉古代の共通ブリソン語で「緑の高台」という意味である。アレグザンダー2世(1189-1249)の時代にはヘンリー・ド・アースキン(Henry de Erskine)がバロニー(封建的領地)(英語版)を所有していた。ヘンリー1226年ペイズリー修道院英語版)への保護とロスニース(英語版)の十分の一税徴収レノックス伯爵英語版)の勅許状立会人になっている。 ラグマン・ロールズ(英語版)にはエドワード1世(1239-1307)に臣従誓ったスコットランド貴族一人としてジョン・ド・アースキン(John de Irskyn)の名前が出てくる。その息子のサー・ジョン・ド・アースキン(生没年不詳)は、娘のヘレン(生没年不詳)をロバート1世の弟トマス・ド・ブルース(英語版)(生年不詳-1307)に嫁がせた。また彼のもう一人の娘アリスロバート2世の父にあたるウォルター・ステュアートの最初の妻になっている。 アースキン家はブルース氏族の熱心な支持者であり、サー・ロバート・アースキン(Sir Robert Erskine, 生年不詳-1385)はデイヴィッド2世からスターリング城城守チェンバレン任命されデイヴィッド2世崩御後ロバート2世即位支持してステュアート朝樹立貢献した彼の息子であるサー・トマス・アースキン(生年不詳-1403)は、7代マー伯の娘エレンの孫にあたるジャネット・ケイス(生没年不詳)と結婚した前述のとおり、後世認定ではその間の子ロバート・アースキンが12代伯の死後13代伯を継承しているのだが、当時国王ジェイムズ2世はアースキン家のマー伯継承認めなかった。代わりにロバート・アースキンに認められたのはアースキン卿(英語版)(Lord Erskine)という新規爵位だった。以降アースキン家はマー伯請求して王室対立する一方国王後見役務め続けた5代アースキンジョン・アースキン英語版)(生年不詳-1555)(デ・ジュリ17マー伯)の娘マーガレット・アースキン(生年不詳-1572)は、スコットランド王ジェイムズ5世(1512-1542)との間に非嫡出子初代マリ伯ジェイムズ・ステュアート儲けている。彼がマリ伯とともにマー伯位を新規に与えられたのは前述のとおりである。 6代アースキンジョン・アースキン(生年不詳-1572)は、当初メアリー女王支持者であり、1565年6月23日には女王によって18マー伯位の継承認められた。この際女王は「頑迷な統治者役人たちによって締め出されてきた正統継承者継承物を回復させることに良心動かされた」と宣言している。また彼は、後述1875年貴族院決定により1565年7月20日新規マー伯位にも叙せられたと見做されている。彼は後にメアリー女王見限って反乱貴族加わり、彼女の投降受け入れた後、ジェイムズ6世の摂政就任した20代マー伯ジョン・アースキン(1585頃–1654)は、国王チャールズ1世宗教政策反対していたにも関わらず尊王心からピューリタン革命では王党派として戦いその結果1660年王政復古までマー伯爵家の財産失われることになった23マー伯ジョン・アースキン(1675–1732)は、アン女王(1665–1714)時代トーリー党政権でスコットランド担当大臣務めたが、ジョージ1世(1660–1727)の即位後にホイッグ党政権成立したことで政権から排除され、それを恨んでジャコバイトとなり、大僭称者ジェイムズ(1688–1766)のために1715年9月にブレイマー(英語版)で挙兵しスコットランドにおけるジャコバイト蜂起起こした。しかしこの反乱失敗終わり、大僭称者とともにフランスへ逃げ帰った。そのため1716年2月議会法私権剥奪されて爵位喪失した一方僭称者からはジャコバイト爵位英語版)としてスコットランド貴族爵位マー公爵Duke of Mar)」や「アースキン侯爵Marquess of Erskine)」、イングランド貴族爵位としてのマー伯爵」等を次々与えられ厚遇された。 23代伯の私権剥奪後、100年以上マー伯不在続いたが、23代伯の娘フランセス(生年不詳-1776)と23代伯の弟の子ジェイムズ・アースキン(生年不詳-1785)の間の子ジョン・フランシス・アースキン(1741–1825)は、1824年6月17日議会法により2つマー伯位(24マー伯7代マー伯)の回復受けた5代アースキン卿(デ・ジュリ17マー伯)からの分流スコットランド貴族ケリー伯爵アースキン家があったが、10代ケリー伯メスベン・アースキン(1750頃-1829)が1829年12月3日死去する初代ケリー伯直系男系男子はいなくなった。この家の持つ爵位群は初代以前に遡った継承が可能であったため、5代アースキン卿まで遡った分流26マー伯ジョン・フランシス・ミラー・アースキン(1795–1866)が継承していることが1835年9月3日確認された。これによりスコットランド貴族爵位ケリー伯爵(Earl of Kellie)、フェントン子爵(Viscount of Fentoun)、ディールトンのアースキン卿(Lord Erskine of Dirletoun)、ディールトン卿(Lord Dirletoun)をマー伯従属爵位加えることになった

※この「アースキン家」の解説は、「マー伯爵」の解説の一部です。
「アースキン家」を含む「マー伯爵」の記事については、「マー伯爵」の概要を参照ください。

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