アースキン家
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アースキン姓はレンフルーのクライド川南のアースキン(英語版)に由来する。この言葉は古代の共通ブリソン語で「緑の高台」という意味である。アレグザンダー2世(1189-1249)の時代にはヘンリー・ド・アースキン(Henry de Erskine)がバロニー(封建的領地)(英語版)を所有していた。ヘンリーは1226年のペイズリー修道院(英語版)への保護権とロスニース(英語版)の十分の一税徴収権のレノックス伯爵(英語版)の勅許状の立会人になっている。 ラグマン・ロールズ(英語版)にはエドワード1世(1239-1307)に臣従を誓ったスコットランド貴族の一人としてジョン・ド・アースキン(John de Irskyn)の名前が出てくる。その息子のサー・ジョン・ド・アースキン(生没年不詳)は、娘のヘレン(生没年不詳)をロバート1世の弟トマス・ド・ブルース(英語版)(生年不詳-1307)に嫁がせた。また彼のもう一人の娘アリスもロバート2世の父にあたるウォルター・ステュアートの最初の妻になっている。 アースキン家はブルース氏族の熱心な支持者であり、サー・ロバート・アースキン(Sir Robert Erskine, 生年不詳-1385)はデイヴィッド2世からスターリング城の城守やチェンバレンに任命され、デイヴィッド2世の崩御後はロバート2世の即位を支持してステュアート朝の樹立に貢献した。 彼の息子であるサー・トマス・アースキン(生年不詳-1403)は、7代マー伯の娘エレンの孫にあたるジャネット・ケイス(生没年不詳)と結婚した。前述のとおり、後世の認定ではその間の子ロバート・アースキンが12代伯の死後に13代伯を継承しているのだが、当時の国王ジェイムズ2世はアースキン家のマー伯継承を認めなかった。代わりにロバート・アースキンに認められたのはアースキン卿(英語版)(Lord Erskine)という新規の爵位だった。以降アースキン家はマー伯を請求して王室と対立する一方、国王の後見役を務め続けた。 5代アースキン卿ジョン・アースキン(英語版)(生年不詳-1555)(デ・ジュリで17代マー伯)の娘マーガレット・アースキン(生年不詳-1572)は、スコットランド王ジェイムズ5世(1512-1542)との間に非嫡出子の初代マリ伯ジェイムズ・ステュアートを儲けている。彼がマリ伯とともにマー伯位を新規に与えられたのは前述のとおりである。 6代アースキン卿ジョン・アースキン(生年不詳-1572)は、当初メアリー女王の支持者であり、1565年6月23日には女王によって18代マー伯位の継承を認められた。この際に女王は「頑迷な統治者や役人たちによって締め出されてきた正統な継承者に継承物を回復させることに良心を動かされた」と宣言している。また彼は、後述の1875年の貴族院の決定により1565年7月20日に新規のマー伯位にも叙せられたと見做されている。彼は後にメアリー女王を見限って反乱貴族に加わり、彼女の投降を受け入れた後、ジェイムズ6世の摂政に就任した、 20代マー伯ジョン・アースキン(1585頃–1654)は、国王チャールズ1世の宗教政策に反対していたにも関わらず、尊王心からピューリタン革命では王党派として戦い、その結果1660年の王政復古までマー伯爵家の財産が失われることになった。 23代マー伯ジョン・アースキン(1675–1732)は、アン女王(1665–1714)時代のトーリー党政権でスコットランド担当大臣を務めたが、ジョージ1世(1660–1727)の即位後にホイッグ党政権が成立したことで政権から排除され、それを恨んでジャコバイトとなり、大僭称者ジェイムズ(1688–1766)のために1715年9月にブレイマー(英語版)で挙兵し、スコットランドにおけるジャコバイト蜂起を起こした。しかしこの反乱は失敗に終わり、大僭称者とともにフランスへ逃げ帰った。そのため1716年2月の議会法で私権剥奪されて爵位を喪失した。一方大僭称者からはジャコバイトの爵位(英語版)としてスコットランド貴族爵位「マー公爵(Duke of Mar)」や「アースキン侯爵(Marquess of Erskine)」、イングランド貴族爵位としての「マー伯爵」等を次々に与えられて厚遇された。 23代伯の私権剥奪後、100年以上マー伯の不在が続いたが、23代伯の娘フランセス(生年不詳-1776)と23代伯の弟の子ジェイムズ・アースキン(生年不詳-1785)の間の子ジョン・フランシス・アースキン(1741–1825)は、1824年6月17日の議会法により2つのマー伯位(24代マー伯・7代マー伯)の回復を受けた。 5代アースキン卿(デ・ジュリの17代マー伯)からの分流にスコットランド貴族ケリー伯爵アースキン家があったが、10代ケリー伯メスベン・アースキン(1750頃-1829)が1829年12月3日に死去すると初代ケリー伯の直系の男系男子はいなくなった。この家の持つ爵位群は初代以前に遡った継承が可能であったため、5代アースキン卿まで遡った分流の26代マー伯ジョン・フランシス・ミラー・アースキン(1795–1866)が継承していることが1835年9月3日に確認された。これによりスコットランド貴族爵位ケリー伯爵(Earl of Kellie)、フェントン子爵(Viscount of Fentoun)、ディールトンのアースキン卿(Lord Erskine of Dirletoun)、ディールトン卿(Lord Dirletoun)をマー伯の従属爵位に加えることになった。
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