アリストテレス以降
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 19:41 UTC 版)
プラトンのアカデメイアで学んだアリストテレスは、アレクサンドロス大王の家庭教師を経つつ、50歳ごろにアテナイ郊外に自身の学園リュケイオンを設立し、倫理学を含む総合的な学究に務めた。彼の学派ペリパトス派(逍遥学派)は、プラトンのアカデメイア派と並ぶ一大潮流となり、後世に大きな影響を与えた。 アリストテレスの倫理学は、(論理学・形而上学と共に)ソクラテス・プラトンのそれを更に精緻化したものであり、「最高善」を究極目的とした目的論的・幸福主義的な倫理学としてまとめられた。また、ソクラテス・プラトンの場合と同じく、倫理学が政治学の基礎となっており、現実の政治・国制へと適用・活用することが要請される。 アリストテレスの倫理学的著作は、ペリパトス派(逍遥学派)の後輩たちに継承され、『ニコマコス倫理学』等として編纂された。 他の倫理学的学派としては、アカデメイアやリュケイオンで学んだエピクロスに始まるエピクロス派や、キュニコス派・アカデメイア派の影響を受けたゼノンに始まるストア派などがある。 古代ローマへは、キケロ等の著作を通じて、アリストテレスやストア派の思想が紹介・伝播され、ローマ帝国末期にキリスト教が席巻するまで、大きな影響力を誇った。(アリストテレスの著作・思想は、後に中東・イスラーム圏経由で、中世の欧州に再輸入され、スコラ学の形成に大きな影響を与えた。) また、プラトンの思想は、ネオプラトニズムを経由しつつ、キリスト教神学・キリスト教哲学へと吸収され、その骨子の一部となった。
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