アカデメイア
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アカデメイアあるいはアカデミア(ギリシャ語: Ἀκαδημ(ε)ια、Akadēm(e)íā)は、古代ギリシアのアテナイ北西部郊外にあった、英雄アカデモスの聖林(森)に因む神域。リュケイオン、キュノサルゲス等と並ぶ、代表的なギュムナシオン(体育場)の所在地でもあった。
- ^ pp. 19–20, W・K・C・ガスリー, A History of Greek Philosophy, vol. 4, Cambridge University Press 1975; p. 1, R. Dancy, "Academy", in D. Zeyl (ed.), Encyclopedia of Classical Philosophy, Greenwood Press 1997. I. Mueller gives a much broader time frame – "...some time between the early 380s and the middle 360s..." – perhaps reflecting our real lack of evidence about the specific date (p. 170, "Mathematical Method & Philosophical Truth", in R. Kraut (ed.), The Cambridge Companion to Plato, Cambridge University Press 1992).
- ^ 森 1988[要ページ番号]
- ^ 廣川 1980, p. 23;79;229-232.
- ^ 廣川 1980, p. 263.
- ^ 國方 2014, p. 226.
- 1 アカデメイアとは
- 2 アカデメイアの概要
- 3 学園以前
- 4 参考文献
- 5 関連項目
- 6 外部リンク
アカデメイア派
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詳細は「アカデメイア」を参照 プラトニズムは最初はプラトンの対話篇で説かれた。それら対話篇においてはソクラテスがいくつかの教理を説明するために使われているが、それらの教理がプラトンの師匠である歴史的なソクラテスの思想と同じであるかは不明である。プラトンはアテナイの城壁の外側にある聖林を含んだ地域であるアカデメイアで講義を行った。アカデメイアは長期にわたって存続した。アカデメイア派は古アカデメイア派、中期アカデメイア派、新アカデメイア派の三つの時代に分けられる。前期アカデメイアで最も重要な人物は、プラトンの後を継いで紀元前339年ごろまでアカデメイアの学頭であったスペウキッポス(プラトンの甥)と紀元前313年まで学頭であったクセノクラテスである。二人ともプラトンのイデア論とピュタゴラス派の数論を融合することに努めた。 紀元前266年にはアルケシラオスがアカデメイアの学頭になった。この時期は中期アカデメイア派として知られており、アカデメイア派懐疑主義がことさら強調された。中期アカデメイア派はストア派及びストア派の真理や真理に関する人の知識が確かであるという主張に対する攻撃が特徴である。新アカデメイア派は紀元前155年にアルケシラオスの後をついで4人目の学頭に就任したカルネアデスの時代に始まった。新アカデメイア派はやはり強く懐疑主義的で、究極的真理を知ることは不可能であるとした。 アルケシラオスもカルネアデスも自身らがプラトンの教義を維持していると信じていた。
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