アニメ会社へ入社とは? わかりやすく解説

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アニメ会社へ入社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/11 21:29 UTC 版)

出﨑統」の記事における「アニメ会社へ入社」の解説

1963年ゴールデンウイーク中、虫プロダクション求人新聞広告を見つけ、同社アニメーター採用試験受験応募500人中採用3人という難関を突破する本人の談によると、当然動画テスト試験はあったが、出﨑の漫画読んだことがあったプロスタッフの杉井ギサブローが「こいつなら採用して大丈夫」と強く推したことが決め手だった。杉井その際印象を、面接時から独特の世界明確な作家性、映像言語持っていたと述懐している。 これにより工場勤務辞め9月同社入社1月から放送開始していた初の本格的連続テレビアニメ『鉄腕アトム』の第39話「赤い猫の巻」(9月24日放送)で動画デビュー果たし、第51話「子象プーラの巻」(12月17日放送)では第二原画昇格入社3ヵ月ほどで4人の新人スタッフ束ねるポジション与えられるなどの大抜擢を受ける。 1964年『鉄腕アトム』66話「スペース・バイキングの巻」(4月4日放送)で原画担当となる。同年先輩高木厚に誘われアルバイト東京ムービー制作作品『ビッグX』絵コンテ担当。この当時から、シナリオ読んでつまらないと感じたら、独断によるストーリー改変行って絵コンテ描いていた。同じくアルバイト仕事受けていた杉井とともに高木自宅スタジオ作り虫プロ通いながらアルバイトをしていたが、やがてこれが虫プロの知るところとなる。 結局杉井を代表とする有限会社アートフレッシュとして独立することが認められ虫プロ同僚だった吉川惣司宇田川一彦タツノコプロ奥田誠治とともに8月同社参加同社虫プロ下請けとして受注した『鉄腕アトム』や『悟空の大冒険』で、各話演出作画監督担当した。初の公式各話演出作品1965年3月27日放送『鉄腕アトム』112話「サムソン髪の毛の巻」。 1967年から放送はじまった悟空の大冒険』では、各話演出作画監督作業並行して虫プロ商事発行月刊誌COM」にて同作コミカライズ版を7回にわたって連載この頃虫プロ内で演出昇格した高橋良輔は、出﨑や富野由悠季当時は喜幸)の仕事見て彼らの天才ぶりにショックを受け、長期わたって挫折感中にいたことを後に語った1968年、出﨑が独自性活かすには「出﨑一家」を構えた方がいいとの杉井判断により、同社退社してフリーとなる1969年には劇場用映画千夜一夜物語』で原画ストーリーボード担当同作制作終盤には、逼迫する制作進行状況助けるため構成助手としても関わった。その際チームワークによる映画作り面白さ目覚めた本人語っていた。その後日米合作アニメフロスティ・ザ・スノーマン〜温かい雪だるま』の制作時杉野昭夫並べて原画描き直接的に互い意識するうになる

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