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ごふかくさてんのう ―てんわう 【後深草天皇】
(1243-1304) 第八九代天皇(在位 1246-1259)。名は久仁。父後嵯峨天皇が弟亀山天皇(第九〇代)を愛したため院政を開けず、長く不遇をかこっていたが1287年、子の伏見天皇が即位し、初めて院政をとった。譲位後持明院に入ったことから、その皇統を持明院統という。日記「後深草院宸記(しんき)」がある。
美術人名辞典 |
後深草天皇
読み方:ごふかくさてんのう
第八十九代天皇。名は久仁。後嵯峨天皇の第三皇子。寛元4年践祚、父後嵯峨上皇が院政を行なう。正元元年上皇の意により弟の亀山天皇に譲位するが、弘安10年皇子伏見天皇が践祚し初めて院政を行なう。のち出家して法名を素実。嘉元2年(1304)崩御、62才。
第八十九代天皇。名は久仁。後嵯峨天皇の第三皇子。寛元4年践祚、父後嵯峨上皇が院政を行なう。正元元年上皇の意により弟の亀山天皇に譲位するが、弘安10年皇子伏見天皇が践祚し初めて院政を行なう。のち出家して法名を素実。嘉元2年(1304)崩御、62才。
歴代天皇事典 |
後深草天皇
後嵯峨天皇の第2皇子。
母は西園寺実氏の娘キツ子。
1246年後嵯峨天皇から譲位されてわずか4歳で即位した。
この後父後嵯峨上皇が院政を行った。
1252年に鎌倉幕府から摂家将軍の九条頼嗣の更迭を求められて、後嵯峨上皇は幕府の要求を受け入れ、皇子の宗尊親王を将軍(宮将軍・皇族将軍・親王将軍)として鎌倉に送った。
以後宮将軍は鎌倉幕府の滅亡まで続いた。
この頃、後深草天皇が病を発し、1259年に後嵯峨上皇は後深草天皇の弟の恒仁親王に譲位させ亀山天皇として即位となった。
さらに、後嵯峨上皇は1268年には、後深草に皇子があったのだが、強行に亀山天皇の皇子、世仁親王(後宇多天皇)を皇太子に立てた。
後嵯峨上皇の没後、今度は後深草上皇が院政を行い、皇子熙仁親王(伏見天皇)を皇太子に立て、以後、後深草系の「持明院統」と亀山系の「大覚寺統」の対立が始まることになる。
母は西園寺実氏の娘キツ子。
1246年後嵯峨天皇から譲位されてわずか4歳で即位した。
この後父後嵯峨上皇が院政を行った。
1252年に鎌倉幕府から摂家将軍の九条頼嗣の更迭を求められて、後嵯峨上皇は幕府の要求を受け入れ、皇子の宗尊親王を将軍(宮将軍・皇族将軍・親王将軍)として鎌倉に送った。
以後宮将軍は鎌倉幕府の滅亡まで続いた。
この頃、後深草天皇が病を発し、1259年に後嵯峨上皇は後深草天皇の弟の恒仁親王に譲位させ亀山天皇として即位となった。
さらに、後嵯峨上皇は1268年には、後深草に皇子があったのだが、強行に亀山天皇の皇子、世仁親王(後宇多天皇)を皇太子に立てた。
後嵯峨上皇の没後、今度は後深草上皇が院政を行い、皇子熙仁親王(伏見天皇)を皇太子に立て、以後、後深草系の「持明院統」と亀山系の「大覚寺統」の対立が始まることになる。
| 第89代天皇 | |
| 天皇名 | 後深草天皇 |
| 読み方 | ごふかくさてんのう |
| 名・諱等 | 久仁親王 |
| 読み方 | ひさひとしんのう |
| 時代区分 | 中世 |
| 天皇在位 | 1246年から1259年 |
| 生年 | 1243 |
| 没年 | 1304 |
| 父 | 後嵯峨天皇 |
| 母 | 西園寺キツ子 |
| 兄弟 | 宗尊親王・恒仁親王 |
| 配偶者 | 洞院イン子 |
| 皇子女 | 熙仁親王・久明親王 |
| 即位宮 | 平安京 |
| 天皇陵 | 深草北陵 |
| 所在地 | 京都市伏見区深草坊町 |
歴代天皇陵一覧 |
後深草天皇 深草北陵
(ごふかくさてんのう ふかくさのきたのみささぎ)
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ごふかくさてんのうに関連した本
- 天皇皇族実録 62-63(全2巻) ゆまに書房
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