【ゲリラ戦】(げりらせん)
進撃してくる敵軍に対し、小規模な待ち伏せを頻繁に行う戦術。
鬱蒼とした森林や建て込んだ市街地といった、見晴らしが悪く交戦距離が短くなりがちな地形が好まれる。
襲撃回数を増やすために兵員が各地に分散し、それぞれが散兵戦を行う。
一般的に、小銃・手榴弾程度の武装で素早く敵を不意打ちし、即座に逃亡に移る。
攻撃すればどうしても居場所が発覚するため、逃走時に不便な重火器はほとんど使わない。
大部隊の侵攻を食い止めるには力不足だが、長期の消耗戦では一方的に敵戦力を減耗させる事ができる。
兵力や兵器の性能差もあまり問題にならないため、特に非対称戦争において有利となる。
その有効性はアメリカ軍のベトナム戦争での苦戦にも垣間見られる。
ゲリラ戦と戦争犯罪
ゲリラは偽装と隠蔽工作を行動の主軸とし、それが成功するか否かがほぼ生死の境目となる。
よって、ゲリラは死にものぐるいで逃げ、隠れ、群衆に紛れ、そして物陰から突然の狙撃を仕掛けてくる。
一般的に言って、こうした態度は戦術に関する見識のない人々から見て「卑劣」に見える。
そう見えるだけでなく、実際に非合法戦闘員とみなされて略式の処刑に処される事も少なくない。
ゲリラに遭遇した侵攻側にも「卑劣」な敵に対する憎悪が醸成され、これを抑えるのは極めて困難である。
目の前の現地人が全てゲリラに見えるほどの深刻な心理状態に置かれる兵士も決して少なくない。
こうした極限状況下で行動するにあたって、軍隊に理性的自制を期待するのはどうあっても無理がある。
すなわち、無意味な虐殺や破壊行為、捕虜の虐待などの戦争犯罪を誘発する事になる。
こうしたリスクを鑑みて、現代の列強はゲリラ戦という戦術自体をテロ行為として非難する。
ただし、これを人道的見地からの主張であると考えるのは必ずしも正しくない。
そうした主張を行う国家は、ゲリラ戦を批判する事によって明白な戦略的利点を得ているからだ。
だからといって、ゲリラ戦に対抗するための虐殺や破壊行為が正当化されるわけでもない。
敵がテロリストであろうと、国際法違反の攻撃や民間人への誤射は厳然として戦争犯罪である。
侵攻側はそうした暴虐を可能な限り抑止・黙殺しようとする一方、ゲリラ側はこれをプロパガンダとして最大限に利用する。
結局の所、そのような事態を招いた責任が誰に帰結するかは政治工作と戦争の成果に左右される。
ゲリラ側の指導者が捕縛されて絞首刑に処された場合、侵攻側の罪はほとんど問題にならない。
一方、戦線が膠着したまま講和する必要に迫られた場合、ゲリラ戦による罪はおおむね許容される。
潔白な当事者は存在しないものと推定されるため、法的な正義が徹底的に追求される事はまずない。
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