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いいお‐そうぎ〔いひを‐〕【飯尾宗祇】

読み方:いいおそうぎ

宗祇(そうぎ)


飯尾宗祗

読み方:いいお(いのお) そうぎ

室町後期連歌師。号は自然斎・種庵。連歌宗砌心敬専順師事、また和歌飛鳥井雅親東常縁に、古典有職一条兼良に学ぶなど修業努め将軍足利義尚をはじめ、多く公家武家がその講を請うまでとなった。又、各地歴遊して連歌普及門人育成貢献し多く歌論書紀行文歌集等を残した中でも新撰菟玖波集』は連歌集大成として知られている。文亀2年(1502)歿、82才。

飯尾宗祇

いいおそうぎ

応永28年(1421)~文亀2年(1502)7月30日享年82歳)

室町後期連歌師古典文学者。紀州和歌山生れ別号、自然斎・種玉庵・見外斎。連歌宗砌専順心敬らに、和歌飛鳥井雅親に、故実一条兼良学び東常縁(とうのつねより)から古今伝授受けた三条西実隆とも親交北野連歌会所奉行および将軍家師範
西行能因法師並んで芭蕉が最も尊敬していた詩人一人古典文学に関する高い教養持ち在来連歌の上古今和歌集幽玄さを加えて連歌革新図った折しも応仁の乱から戦国時代にかけて大名各地割拠するようになると、畿内諸大名言うに及ばず周防大内越後の上若狭武田氏など成り上がり戦国大名らは京の文化教養への憧憬宗祇の提唱する連歌革新中に見つけた。そのために宗祇全国各地から招かれて、旅する連歌師ともなったのである芭蕉憧れた旅に死す 生き方こういう時代の中で育まれたものである有心(うしん)連歌大成連歌古典新撰菟玖波集 』を編集した
1502年越後から美濃に向かう旅の途次箱根湯本死去静岡県裾野市桃園定輪寺葬られた。
連歌作品として『水無瀬三吟百韻』、『湯山三吟百韻』、『葉守千句』、『吾妻問答』、『浅茅』。句集に『萱草わすれぐさ)』『老葉わくらば)』、『下草したくさ)』など、紀行文に『白河紀行』、『筑紫道記』など。
宗祇終生髯を伸ばしていた。そこで髭宗祇池に蓮ある心かな素堂)というくらいであった

宗祇の代表作

関こえて爰も藤しろみさか哉(『あら野』)



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