宗祇とは? わかりやすく解説

そうぎ【宗祇】

読み方:そうぎ

[1421〜1502]室町後期連歌師。姓は飯尾(いいお)と伝えられる別号、自然斎(じねんさい)・種玉庵(しゅぎょくあん)・見外斎。連歌宗砌(そうぜい)・心敬専順師事また、古典一条兼良に、和歌飛鳥井雅親学び東常縁(とうつねより)に古今伝授受けた。「新撰玖波(つくば)集」を撰進。著「吾妻問答」「萱草(わすれぐさ)」「竹林抄」など。


宗祇

読み方:そうぎ

連歌師。号種玉庵・自然斉他。若くして仏門入り中以後臨済宗属した思われる連歌宗砌心敬専順に、飛鳥井雅親らに和歌古典を、卜部兼倶神道の教を受けた連歌師として名があらわれ始めた四十才頃より各地旅して連歌界最高の栄誉をうけた。和歌連歌伝統継承する正統派として円熟した技巧駆使し堅実な作風浪漫的心情一貫して悲哀厭世の調がある。文亀2年(1502)歿、82才。

宗祇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/12 04:52 UTC 版)

宗祇(そうぎ、応永28年〈1421年〉 - 文亀2年7月30日1502年9月1日[1])は、室町時代連歌師は自然斎[2]、種玉庵。は飯尾(いのお/ いいお)というが定かではない。生国は、紀伊[3] とも近江とも言われている[4]。市川文書に応永9年(1402年)信濃国を幕府領国と定め、飯尾左近将監爲清という人物を代官として下向させた旨の記述があるが関連は不明である。


  1. ^ 島津忠夫『連歌師宋祇』岩波書店、1991年8月28日、269、299-300頁頁。ISBN 4-00-002516-3 
  2. ^ 三省堂編修所編、上田正昭ほか監修『コンサイス日本人名事典 第5版』三省堂、2009年、74頁。
  3. ^ 宗祇屋敷跡(県指定文化財) - 有田川町公式ホームページ 2023年10月11日閲覧。
  4. ^ 金子金治郎「飯尾宋祇」『国史大辞典吉川弘文館 [要文献特定詳細情報]
  5. ^ 福岡市総務局 1979, p. 61.
  6. ^ 福岡市総務局 1979, p. 77.
  7. ^ 絹本著色宗祇像(三条西実隆賛)”. データベースれきはく. 国立歴史民俗博物館. 2023年2月25日閲覧。


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