「大囲壁」(グレートエンクロージャー)
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「グレート・ジンバブエ遺跡」の記事における「「大囲壁」(グレートエンクロージャー)」の解説
さて、「第一夫人」の住居、または「倉庫」の南方へ延びる通路の突き当たりに有名な「大囲壁」(グレートエンクロージャー)、マッキーヴァーが「楕円神殿」と呼んだ建造物がある。グレートエンクロージャーは、長径89m、外壁の周囲の長さ244m、高さ11m、外壁の基部の厚さ6mに達する。グレートエンクロージャーは、大きく東側と西側に区分され、西側部分の構造は「谷の遺跡」に似ており、居住の場であったと考えられ、東側には、直径5.5m、高さ9mを超える円錘形の塔が建てられており、宗教的祭祀的な空間であったと考えられる。 このようなグレートエンクロージャーの用途については研究者によって説が分かれ、トーマス・ハフマン (Huffman,T.N.) は、文化的にショナ族に近い南アフリカのベンタ人の慣習などから推定して、いわゆる若者宿や成人式の学校のような施設と考えている。ベンタ人は、東が聖、西が俗、南が男性、北が女性を表すという一種のコスモロジーをもっている。西側は、成人式参加者が寝起きする生活の場所であり、参加者は一定の期間周壁の建設などの労働奉仕を行うために集められた。南西の門が男性用で、北西の門が女性用と決められていた。聖の空間とされる東側の円錘状の塔の周辺で人間や牛の形をした土偶が出土するのは、成人になるにあたっての「秘伝の伝授」の儀式を行っていたからである。そしてグレートエンクロージャーの外壁の頂部を飾る黒っぽい石と山形の石組みは、それぞれシマウマと蛇を表し、多産と豊饒の象徴である。グレートエンクロージャーが「谷の遺跡」と隣接しているのは、王ないし首長の妻が成人式に関して重要な役割をになうので隣り合わせなのであるという考え方がある。 一方、研究者として最も著名なピーター・ガーレイク (Garlake,P.S.) は、グレートエンクロージャーの大きな囲壁は、単純に王権の象徴であり、もともとは「アクロポリス」にいた王がある時期に宗教的指導者に「アクロポリス」をゆだねて、自らは、ふもとのグレートエンクロージャーに住んだのだ、と考えている。 グレートエンクロージャーの建築順序は、西側部分とその周辺の石壁が最初に築かれ、それを囲むように外壁がやはり西側から反時計回りに建設された。石積みの技法は、東側と北側にかけての部分と円錘形の塔が最も丁寧に築かれており、研究者は、着手時の不ぞろいな花崗岩ブロックで築かれた西側部分の技法をP方式、一定の大きさの花崗岩ブロックによって平行な積み目になった北東部分の技法をQ方式と呼んでいる。技術が円熟したという研究者もいるが聖俗の区分を意識した設計思想があったとも考えられにわかには断定できない。
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