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アフリカ史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/03/29 12:28 UTC 版)
- ^ 大阪外国語大学教授の宮本正興はアフリカの歴史を編纂するにあたって利用が出来る資料は中世アラブの資料と近代ヨーロッパの資料にほぼ限定されており、アフリカ側の記録はほとんど存在しないと述べている。
- ^ グレアム・コナー/近藤義郎・河合信和(訳)『熱帯アフリカの都市化と国家形成』河出書房新社,1993年,pp.293-5
- ^ ドイツの哲学者ゲオルク・ヴィルヘルム・フリードリヒ・ヘーゲルはアフリカの歴史について「社会が停滞し、同じサイクルを反復しているだけのアフリカの過去はすなわち現在であり、アフリカに歴史は存在しない」という哲学的な証明を与えている。
- ^ しかし、アフリカの歴史家自身もヨーロッパの一般的な進歩史観に基づいていたため、中央集権化が進んでいた国家の歴史については詳細な調査が進んでいたが、非中央集権的な社会、固定した権力者を輩出しなかった社会は遅れた事例としておざなりになっていった。
- ^ 小林徹『等身大の地球学』学文社,2003年
- ^ 小林前掲書
- ^ 堀内信生『人間という名の動物』文芸社,2005年
- ^ エチオピクス猿人、ボイセイ猿人、ロブストス猿人の三種で、いずれも臼歯が大きく発達し、現代人よりも小柄な体格であった。
- ^ エチオピア、ケニア、マラウイなどの遺跡から出土。
- ^ もともと原人はアジアで発見され、その存在が確立された種であり、1891年のジャワ原人、1929年の北京原人などがその代表格。
- ^ ハンドアックスに代表される大型石器群。
- ^ 諏訪元は出アフリカの年代を約140万年前から120万年前と推論している。
- ^ 松田泰二、宮本正興『新書アフリカ史』講談社現代新書,1997年
- ^ 岩本光雄、河合雅雄『人類の誕生』朝日新聞社,1994年
- ^ 大参義一『先史時代』講談社,1983年
- ^ 中尾佐助『農業起源をたずねる旅』岩波新書,1993年
- ^ フランスの歴史美術学者アンリ・ロートの岩壁画の研究などによる。
- ^ アテール文化やカプサ文化など。
- ^ ただし、1984年に発見された紀元前1000年前後の岩壁画に二輪馬車が描かれていることから、馬車によるサハラ横断が行われていたと指摘する者もある。
- ^ この勢力、政体については、直接クシュ王国とは呼ばれず、首都となった遺跡の名でケルマと呼ばれる(コナー/近藤・河合訳前掲書,pp.56-61,p.56に編年表あり。D.W.フィリップソン/河合信和訳『アフリカ考古学』学生社,1987年,pp.166-7)
- ^ ケルマを国家とするよりは、首長制社会であるという研究者(W.Y.アダムズ)もおり、コナーも少なくとも国家の「途上にあった」社会だったのは明らかと断定をさけている(コナー/近藤・河合訳前掲書,p.61)。
- ^ コナーもフィリップソンもナパタに興ったものから「クシ(ュ)王国」の呼称を用いている(コナー/近藤・河合訳前掲書,p.61,フィリップソン/河合訳,p.167)。
- ^ フィリップソン/河合訳,p.167,p.209,コナー/近藤・河合訳前掲書,p.61, 鈴木八司『ナイルに沈む歴史 ヌビア人と古代遺跡』岩波書店,1970年
- ^ V.V.マトベイエフ/宇佐美久美子訳「スワヒリ文明の発展」D.T.ニアヌ編/宮本正興責任編集 『ユネスコ アフリカの歴史』第4巻所収,同朋舎出版,1992年,pp.663-5
- ^ ササン朝時代の銀器などの形や技法をまねたもので、文様を押し型で施文してから、無釉か青い鉛釉をかけるタイプで、ニシャプールにある窯などで生産されたとおもわれる(吉田光邦「イスラーム陶器の技術-イランを中心に-」『世界陶磁全集21イスラーム』(三上次男編)所収,小学館,1986年,p.235)。またササン朝の技法の系譜をひくイラン北西部、カスピ海沿岸の刻線文陶器などの伝統は12世紀ごろまで続いた(杉村棟「東方イスラーム陶器」-シリア、イラク、イラン、アフガニスタン、中央アジア-」,三上編前掲書,p.141)。
- ^ それ以前のキルワについては、アル・イドリーシーによってブタナと呼ばれていると思われるが必ずしも交易の中心地として注目されていたわけでないことから確実ではない。
- ^ V.V.マトベイエフ/宇佐美訳前掲論文,pp.668-674
- ^ 農耕民の定住時期については特定されておらず、後期旧石器時代の遺跡から土器や碾臼が出土しているものの、人類学者赤阪賢は野生穀類収集の可能性を指摘しており、断言はできないとしている。
- ^ コンゴ川流域の熱帯雨林地帯は1874年、アメリカの探検家ヘンリー・モートン・スタンリーによって地理的探検が行われるまでの期間、アフリカ大陸の「暗黒の大陸」という呼称の中核部分を担ってきていた。
- ^ 福島県立大学教授でアフリカ農耕史を専攻する杉村和彦はこの出来事を「バナナ革命」と呼称している。
- ^ コナー/近藤・河合訳前掲書
- ^ コナー/近藤・河合訳前掲書
- ^ これから述べる地域は、東アフリカと交易で連続性をもつが地理的には南部に属するため単純に南アフリカ史とすると南アフリカ共和国の歴史との誤解を受けるため南東アフリカ史とした。
- ^ コナー/近藤・河合訳前掲書pp.278-280,pp.286-290
- ^ 世界遺産にも登録されているこの遺跡は高さ80メートルの丘の上にある廃墟群、その丘から700メートルほど離れた高台に存在する大囲壁、両者の間の低地に散在する谷の遺跡群で構成されている。
- ^ 商業ルートの移動に伴う都市の破棄や、人口増加に伴う環境破壊などが可能性として指摘されている。
- ^ 吉國恒雄『グレートジンバブウェ-東南アフリカの歴史世界-』講談社現代新書,1999年,pp.149-150
- ^ 吉國前掲書,p.153
- ^ チャンガミレ国の首都ダナンゴンベの遺跡からは、ポルトガルの大砲を含むヨーロッパ渡来の遺物が多数出土している。
- ^ ただし運搬中や奴隷狩り中の死者は含まれていない。
- ^ 池本幸三、下山晃、布留川正博『近代世界と奴隷制』人文書院,1995年
- ^ 1745年にニジェール川下流に生まれ、奴隷として売り飛ばされながらもその後ロンドンで奴隷制度の反対運動に力を入れたオラウダー・エキアノもその一人で、自伝『オラウダー・エキアノすなわりアフリカ人グスタブス・バサの生涯の興味ある物語』において大人が農作業に出かけた隙に誘拐されたというエピソードが紹介されている。
- ^ 松田素二「民族対立の社会理論」『現代アフリカの紛争を理解するために』アジア経済研究所 1998年
- ^ 岡崎勝世「リンネの人間論」『埼玉大学紀要 教養学部』2006年
- ^ 松田・宮本前掲書
- ^ 19世紀に入って売買された奴隷の数は230万人とも言われる。しかしその商品価値は著しく低下し、1780年に1人40ドルだった奴隷の価格は1820年には半値以下となっている。
- ^ イギリスではゴールド・コースト、シエラレオネ、ガンビア、ラゴス、ケープなど、フランスではセネガル、ガボン、ソマリアなど、ポルトガルではアンゴラ、モザンビークなどがその代表的な地域である。
- ^ ルガード著『イギリス領熱帯アフリカにおける二重の委任』など
- ^ ナミビアはドイツ領南西アフリカを経て後、南アフリカ共和国からの独立、エリトリアはエチオピアからの独立を獲得。
- ^ ガンビア、リベリア、セネガル、スーダン、ボツワナ、モーリシャス、南アフリカ共和国、ジンバブエ
- ^ 前述に加え、ベナン、ブルキナファソ、カーボヴェルデ、コートジボワール、ガーナ、ギニア、ギニアビサウ、マリ、モーリタニア、ニジェール、トーゴ、ブルンジ、カメルーン、中央アフリカ、コンゴ、ガボン、赤道ギニア、ルワンダ、サントメ・プリンシペ、ザイール、コモロ、ジブチ、エチオピア、ケニア、セイシェル、タンザニア、アンゴラ、レソト、マダガスカル、マラウイ、モザンビーク、ナミビア、ザンビア。但し、ガンビア、リベリア、スーダンはクーデター等により、軍政となっている。
[続きの解説]
「アフリカ史」の続きの解説一覧
- 1 アフリカ史とは
- 2 アフリカ史の概要
- 3 奴隷貿易時代
- 4 近代史
- 5 現代史
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