Wヤング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/14 17:19 UTC 版)
受賞歴
- 第1次Wヤングとして
第1次・2次Wヤングとして
主な弟子
- 赤川喜久夫(平川の弟子)
- 平川タロー・ジロー(解散/現在はタローのみ、北山ヨシオとオッサンパラダイスで活動)
- 北山ヨシオ(平川タローと「オッサンパラダイス」で活動)
- Wパンチ(解散/現在はパンチみつおとしてピンで活動)
- ミモ・ファルス(解散/小畑と米原が平川の弟子、岡田のみ大平サブローの弟子)
- 宇都宮まき
- 松みのる(現在は裏方として活動)
- 杉ゆたか
- もみちゃんズ(平川の弟子。現時点で平川の最後の弟子)
備考・エピソード
- リズムデッサン時代より楽器を使った漫談を行っていたため、第1次時代はどちらも楽器を弾くことが出来た。そのため、テレビで歌を披露する際には平川がギターを中田がサックスを演奏し、更に中田が平川を肩車をしながら演奏する「2階建て演奏」を披露することがあった。また平川がタップを踊る事もあった。将来年取っても体力的にこんなきつい漫才続けられんと思い、後に多くのWヤングの台本を手掛ける事になる漫才作家の足立克己の助言もありしゃべくりに変えた。
- 同時期に活動していたWけんじ、及び彼らの弟子で「W**」と名乗っていた人物たちとは一切の関係がない。Wけんじの東けんじは一時期大阪を拠点にして、千土地興行経営の大阪劇場にレギュラー出演していた時期があるが、中田・平川が西川ヒノデへ入門する以前のことであり、Wヤング結成時には既に東は東京に戻りWけんじでブレイクしていた。
また、「Wさくらんぼ」(松竹芸能所属で既に解散)、「Wエンジン」とも一切の関係はない。但し、「Wパンチ」(吉本所属。現在パンチみつおだけ)は第1次Wヤングの一門である。 - 中田の自殺をきっかけに大阪府警では野球賭博事件の摘発に踏み切り、月亭可朝・間寛平・結城哲也(元チャンバラトリオ)の3人が略式起訴された。吉本でも「賭博に手を染める芸人は使わない」と宣言した。
- 月亭可朝が中田ボタンらとトランプ賭博に興じていたところ、突然入ってきた警官がそのまま隣の部屋へと突入。偶然その部屋に居合わせた池乃めだか、4代目平和日佐丸、平川が賭博に関わっていると疑われ一時拘束された。なお、実際はうどんの代金を用意していただけであった。
- 平川が一度だけ舞台に遅刻した際に、佐藤は宮川花子と組んで即興で漫才を行ったことがある。遅刻の原因は「時間を潰そうとして船に乗ったら、船がそのまま動き出した」ためである。
- 近年はオレンジと一緒に仕事をすることが多い。
- 平川と佐藤は誕生日が同じで、コンビで13歳の年の差である。
脚注
- ^ a b c d e “Wヤング平川幸男さん死去、前夜に急変 78歳”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社. (2019年11月12日) 2019年11月12日閲覧。
- ^ a b “Wヤング平川幸男さん死去 78歳 11月上旬に入院、昨夜容体が急変”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. (2019年11月12日) 2019年11月12日閲覧。
- ^ a b Wヤング佐藤武志35年ぶり新喜劇復帰「暴れ倒す」 日刊スポーツ 2019年12月3日
- ^ a b c d 「ああWヤングよ永遠に…」、『笑芸人 VOL.1』所収、白夜書房、1999年、P73。
- ^ a b c d 安田謙一「西の国から吹くコラム Sangari★a vol.1『Wヤング』エグいほどのボケと、テンポのいい漫才。」『昭和40年男』2018年12月号、クレタパブリッシング、133頁。
- ^ 木村政雄の私的ヒストリー|木村政雄の事務所
- ^ 2019年に吉本興業が吉本興業ホールディングスに社名を変更したことを機に、子会社が吉本興業に改称。
- ^ 一方で相方の佐藤はまるで歌唱力がなく(ほとんど棒読み同然)、そのギャップも笑いの種になっている。
- ^ 大阪府立上方演芸資料館 ワッハ上方. “第23回殿堂入り(令和元年度) Wヤング(ダブルヤング)漫才師”. 上方演芸の殿堂入り. 2022年9月13日閲覧。
固有名詞の分類
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