Wヤング
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/14 17:19 UTC 版)
所属
師匠・西川ヒノデが当初は千土地興行所属していた為、Wヤングも千土地興行に所属し千日劇場を中心に舞台に上がっていたが、娯楽観光に数ヶ月入るも出演する劇場がなく、1966年10月より吉本の主要劇場に登場する。
芸風
- 第1次Wヤング
- 後期は、主に駄洒落を使った漫才が多かった。通常の漫才も得意とする。初期はギターを使って漫才を披露することもあった。
例(野菜ネタ)>「人のことなんかかぼちゃられませんわ」「なんでもごぼうごぼう上がりますよね」「いい加減に椎茸」「アスパラどうしたらいいの」「ではこのへんでえんどう豆」(政治ネタ)>「何ちゅう事を郵政大臣」「オナラ一発、国務大臣」「そんな事はア官房長官」「国民を大事にせんといけんだ(池田)勇人」「また調子に農林大臣」「ではこのへんで吉田茂」(県づくし)>「ええがげんにシガ県」「頭いっぱつチバ県」「オオイタ県」「あんたにはカナガワ県」「ほなこのへんでオキナワ県」[5]など。また平川は田中角栄のものまねも披露していた。 - コンビ双方のボケとツッコミが瞬時に入れ替わる、難しいスタイルの漫才をこなし、高く評価される。同じネタでもボケと突っ込み役が交代すれば、新しいネタかと思えるほど笑いを得ていた。なお、テーマ曲は「聖者の行進」の替え歌アレンジを使用していた。
- 第2次Wヤング
- どつき漫才のように身体をはったネタや、平川の歌唱力[8]を使った歌ネタが多い。駄洒落ネタも時折披露する。その他、SE(効果音)漫才など、ジャンルは幅広い。どつき漫才の例として、佐藤が平川にキスを迫る、佐藤が平川に靴で引っ叩かれる、佐藤が倒れこんだらそのまま体をかわされて顔から床に直撃するなどのパターンが存在する(たいていは佐藤が平川の倍以上酷い目に遭わされる)。舞台狭しと走り回ったり、ダンスを二人で踊ったり(たいてい平川が先に疲労困憊になって終了)、佐藤が平川の背広を客席に投げ入れたり(蹴り入れる場合もある)と激しい漫才を展開。
- 場合によってはボケとツッコミが入れ替わるような場所があるが、基本的には前述の通り佐藤がツッコミ、平川がボケを担当している。終盤では立ち位置が替わる事も度々ある。
- かつての駄洒落を稀にテレビなどで披露する事がある(通常は漫才の途中で平川が一節織り込んで「ちょっと聞いたあ」に持ち込むのが一般的だが、ごく稀に『バラエティー生活笑百科』出演時などの舞台が小さく演じる時間も限られた場面では第一次を彷彿とさせる駄洒落掛け合いをみせることもあった)。
- またとくに「上方演芸会」で多く披露するが、収録地に因んだ観光案内を盛り込んだ「Wヤングのちょっといい旅」という定番ネタがある。
- テレビでは前述のような激しいアクションのどつき漫才を展開する一方で、姿の見えないラジオでは巧みな話術と平川の歌唱力やダジャレを盛り込んだ正統派のしゃべくり漫才を披露するなど、その幅広い芸風が持ち味となっている。
主なギャグ
- 「ちょっと聞いたあ」
- 「えらいすんまへん」
- 「へんなの」
- 突如脈絡もなく「ムハハハハ」と笑う(佐藤に「何がおもろい!」とツッコまれる)
- 「アホかいな」(振り付けがあり、最初に言ってから観客に振り付けを教え全員でやってみた後、単独で「ほんまに今日のお客さん、アホかいな」と返すので佐藤のツッコミを食らう)
- 「ええ所やねえ。何にもなくて」(地方収録の際につかみで使うギャグ。佐藤にツッコまれると「ゴミゴミしたところが何にもなくて、という意味や」と弁解するがその直後に「どうでもいい所」と畳み掛けるのでまた佐藤にツッコまれる)
以上は平川のギャグ。たいていは言った後の客席の反応が今ひとつなので「はーあ」とため息をつく、あるいは「あかんねぇ」「さっぱりやねぇ」と返すなどして佐藤のツッコミを食らう。
また「ちょっと聞いたあ」「へんなの」「ムハハハハ」は第一次時代から使用している。 それを逆手にとって、佐藤が「そんな40年前の(もしくは「万博の年の」)ギャグ使っとんのかい」とツッコみ、それを受けて平川が「この『ちょっと聞いたあ』がウケて大阪の一等地に家建てましたんや」と語って関心を集めるが、「で、『えらいすんまへん』、このギャグで家売りましたんや」とオチを付けて「何にもなってへんやないか!」と佐藤にツッコまれるというギャグを展開している。
漫才の冒頭では佐藤が平川の高齢ぶりを引き合いに出して笑いをとることが多い。以下はそのやり取りの一例
- 佐藤が平川を「師匠、師匠」と持ち上げて平川が「舞台に出てきて師匠言うな」などと照れ臭そうにするが、佐藤が「いや師匠ですよ、おまえ」と扱き下ろすので平川が怒って「お前、そうやって俺の悪口ばっかり言ってんのやろ!」と返し「そんなこと言ってまっかいな、陰でしか」と佐藤が余計に火に油を注ぐ(そして以下のやり取りに展開)
- 佐藤にけなされた平川が「こんな若者をつかまえて」と自分のことを言うので佐藤が「だれが若者やてぇ!?」と大げさに反応、以下のやり取りに展開する
さらに佐藤も60代となってからは平川から「こいつももう還暦でっせ」とツッコミ返され、さらに観客に「この舞台で古稀(平川)と還暦(佐藤)が漫才してまんねんで。で、名前がWヤングやて」とコンビ名に引っ掛けたギャグを展開している。
出演
- お笑いネットワーク(よみうりテレビ)
- 上方漫才まつり(毎日放送)
- 土曜ひる席(NHK大阪・テレビ/準レギュラー出演)
- バラエティー生活笑百科(NHK大阪・テレビ/不定期出演)
- 笑点(日本テレビ系列/不定期出演)
- 上方演芸会(NHK大阪・ラジオ/不定期出演)
- Wヤングですお早うさん(近畿放送)
漫才作品
- 漫才の殿堂(第1次Wヤング/DVD)
- なつかしの昭和爆笑漫才~天国の笑星~(第1次Wヤング/DVD)
- 上方漫才まつり <昭和編> 第1集(DVD)
音楽作品
- Wヤング名義(すべて第1次Wヤング)
- 「お待たせしました! -Wヤング・ビッグ・プレゼント-」(1975年発売 キングレコード SKD-275)
- LP・第十回上方漫才大賞受賞記念
- A面に漫才編として漫才3本(魚づくし/結婚相談所-俳優づくし/県づくし)、B面に歌謡曲編として6曲(涙の酒/ネオンの傷跡/居酒屋/楽屋人生/煙草になりたい/名月赤城山)を収録
- 楽屋人生/そんなもんだよ人生は(1973年3月発売 キングレコード BS-1740)
- 帰れぬ女のブルース/片えくぼ (1974年発売 キングレコード BS-1836)
- 坂町ブルース/スキスキ・ツイスト(1977年発売 ビクター SV-6254)
- 女の法善寺/れい子の酒場(1978年7月発売 ビクター SV-6456)
- 振られた女の子守唄/いいじゃないか(1979年9月発売 ビクター SV-6641)
- 平川幸雄名義
- 北端の宿/煙草になりたい(1982年発売 キングレコード K07S-343)
- 平川幸男名義
- 人生花舞台/男太鼓 (1987年3月30日発売 アポロン AY07-60)
- 妹/夜の帝王 (1989年7月21日発売 キングレコード 064R-10063)
- まとい精神/そんな大阪すきなんや (2000年11月18日発売 日本コロムビア CODA-1922)
- ふとん太鼓 (2002年6月5日発売 フリーボード FBDX-1010) c/w「大阪いのち」は、八木光正&岡本あずさによる歌唱。
- 人情横丁法善寺/匠の詩 (2003年6月25日発売 フリーボード FBDX-1022)
- 泣かせてばかり/露地あざみ(2011年3月16日発売 よしもとミュージックエンタテインメント YRCN-90139 )
- 浪花の父子酒/昭和のメルヘン(2014年7月30日発売 日本クラウン CRCN-1807)平川幸男&秋岡秀治名義。親子でのデュエット。
- ^ a b c d e “Wヤング平川幸男さん死去、前夜に急変 78歳”. nikkansports.com. 日刊スポーツ新聞社. (2019年11月12日) 2019年11月12日閲覧。
- ^ a b “Wヤング平川幸男さん死去 78歳 11月上旬に入院、昨夜容体が急変”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. (2019年11月12日) 2019年11月12日閲覧。
- ^ a b Wヤング佐藤武志35年ぶり新喜劇復帰「暴れ倒す」 日刊スポーツ 2019年12月3日
- ^ a b c d 「ああWヤングよ永遠に…」、『笑芸人 VOL.1』所収、白夜書房、1999年、P73。
- ^ a b c d 安田謙一「西の国から吹くコラム Sangari★a vol.1『Wヤング』エグいほどのボケと、テンポのいい漫才。」『昭和40年男』2018年12月号、クレタパブリッシング、133頁。
- ^ 木村政雄の私的ヒストリー|木村政雄の事務所
- ^ 2019年に吉本興業が吉本興業ホールディングスに社名を変更したことを機に、子会社が吉本興業に改称。
- ^ 一方で相方の佐藤はまるで歌唱力がなく(ほとんど棒読み同然)、そのギャップも笑いの種になっている。
- ^ 大阪府立上方演芸資料館 ワッハ上方. “第23回殿堂入り(令和元年度) Wヤング(ダブルヤング)漫才師”. 上方演芸の殿堂入り. 2022年9月13日閲覧。
固有名詞の分類
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