キリスト教とユダヤ教
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/11 07:55 UTC 版)
神の概念
ユダヤ教徒とキリスト教徒はともに、アブラハム、イサク、ヤコブの神を信じる。 ユダヤ教徒にとってはタナハの神、キリスト教徒にとっては古い契約の神であり、創造神である。 ユダヤ教とキリスト教の主要な分派は、神が肉体的な存在として世界のうちに存在するという内在の考え方を否定している。 しかしこれを聖霊の概念と見なす者もあれば、三位一体論者のキリスト教徒は神の化身を信じてもいる。 どちらの宗教も、神はまったく超絶的で、西暦紀元前のギリシアの知られざる神のように世界とは分離しているという考え方を拒絶する。 どちらの宗教も、無神論、多神教のどちらをも否定する。
どちらの宗教も、神の超越性と内在性を共有している。 2つの宗教がこの問題をどのように解釈しているかが、すなわち2つの宗教の相違点である。
キリスト教は、神は三位一体として存在するという。 この考え方では、神は3つの別個の位格として存在し、1つの本質もしくは実質を分け合うことになる。 3つは1つで、1つは3つなのである。 神は1つで分割することはできず、父なる神、子なる神、聖霊という3つの位格も明瞭で混乱もないとする。 神は特に子なる神への受肉を経て、物理的な意味で内在的になったことを示す。 子なる神はナザレのイエスとして生まれ、完全なる神であると同時に完全なる人であると考えられている。 キリスト教徒を自認しながらも、これらの教義の一部を否定する宗派もある(Nontrinitarianism参照) 。
対照的にユダヤ教は、神は1つの実体であって三位一体論は理解不能、かつ「神は1つ」と教えた聖書に対する違背だと考えている。 ユダヤ教は、イエス他どんな人や物でもそれが「神」たりえるという概念、物理的な形であれ分身という形であれ神が「息子」を持つという概念、そもそも神がそのような流儀で物質世界に関わるという概念のすべてを拒絶している。 ユダヤ教が教徒に提示するのは、神の卓越を表す言葉「アイン・ソフ(無限の意)」と内在を表す言葉「シェキナー(内在の意)」の言葉だけであり、それも神の在り様2つを記すための、人間の言葉でしかない。 神は唯一であり不可分なのである。
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