青銅の騎士 概要

青銅の騎士

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/31 04:45 UTC 版)

概要

騎馬像の建設は女帝エカテリーナ2世大帝の命により1770年に開始され、おもにフランスの彫刻家エティエンヌ・モーリス・ファルコネ(Étienne Maurice Falconet)によって作られ、1782年に完成した。高さは13メートルで銅像自体は6メートルである。

台座の右側にラテン語

PETRO primo CATHARINA secunda MDCCLXXXII

左側にロシア語

ПЕТРУ перьвому ЕКАТЕРИНА вторая лѣта 1782

と彫ってある。共に日本語

ピョートル1世へ、エカテリーナ2世より、1782年

という意味である。完成式典は、1782年に盛大に行われた。

騎馬像はネヴァ川左岸にある旧海軍省の隣、元老院広場に位置している。ソビエト時代に「デカブリスト広場」と呼ばれていたが、2008年に元来の名称に戻された。

台座

通常の騎馬像と違い、本体だけでなく台座も特徴的な形をした芸術品である。台座に使われたのは「雷の石」と呼ばれた巨大な花崗岩で、フィンランド湾から6キロメートル内陸に入った地点で発見され、2年もの年月をかけ大変な苦労をしてこの場所へ移してからカットされた。台座の重量は1600トンと言われる。

アレクサンドル・プーシキンによる叙事詩『青銅の騎士』は1833年に発表された。プーシキンはロシア文学の代表的詩人である。

レニングラード包囲戦

「青銅の騎士」が無事である限りは、サンクトペテルブルクは安泰である』という言い伝えがある。第二次世界大戦中の900日にわたるレニングラード包囲戦(1941年 - 1944年)では、この像は台座ごと木枠と砂袋がかけられていた。この言い伝え通り「青銅の騎士」は無事で、レニングラード(当時のサンクトペテルブルクの名前)もドイツ軍の占領は免れた。

ギャラリー




「青銅の騎士」の続きの解説一覧




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「青銅の騎士」の関連用語

青銅の騎士のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



青銅の騎士のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの青銅の騎士 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS