関眞
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/20 04:20 UTC 版)
関眞 せき まこと | |
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生年月日 | 1929年12月6日 |
出生地 | 日本 埼玉県 |
没年月日 | 2005年11月29日(75歳没) |
出身校 | 埼玉県立川越中学校卒業 |
所属政党 | 無所属 |
称号 |
従五位 旭日小綬章 |
当選回数 | 2回 |
在任期間 | 1999年 - 2005年11月29日 |
第41代 日高市議会議長 | |
在任期間 | 1993年5月12日 - 1994年5月10日 |
在任期間 | 1989年5月9日 - 1990年5月14日 |
当選回数 | 3回 |
在任期間 | 1983年 - ? |
関 眞(せき まこと、1929年〈昭和4年〉12月6日[1] - 2005年〈平成17年〉11月29日[2])は、日本の政治家。埼玉県日高市長(2期)。
来歴
埼玉県出身。埼玉県立川越中学校(現・埼玉県立川越高等学校)卒[1]。1983年(昭和58年)、日高町議会議員に初当選[3]。3期務めた(1991年(平成3年)からは日高市議会議員)[1]。また、1989年(平成元年)5月9日から1990年(平成2年)5月14日まで第37代日高町議会副議長を、1993年(平成5年)5月12日から1994年(平成6年)5月10日まで第41代日高市議会議長を務めた[4]。
1995年日高市長選挙
1995年(平成7年)の日高市長選挙に立候補したが、駒野昇に敗れて落選した[5]。
※当日有権者数:40,280人 最終投票率:70.95%(前回比:-pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
駒野昇 | 74 | 無所属 | 現 | 14,253票 | 51.6% | - |
関眞 | 65 | 無所属 | 新 | 13,360票 | 48.4% | - |
1999年日高市長選挙
1999年(平成11年)、日高市長に立候補して3人を破って初当選を果たした[1][5]。
※当日有権者数:42,027人 最終投票率:69.51%(前回比: 1.44pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
関眞 | 69 | 無所属 | 新 | 12,997票 | 45.8% | - |
安藤重男 | 59 | 無所属 | - | 6,618票 | 23.3% | - |
こまの富也 | 57 | 無所属 | - | 5,286票 | 18.6% | - |
浅見万次郎 | 75 | 無所属 | - | 3,477票 | 12.3% | - |
2003年日高市長選挙
2003年(平成15年)に立候補して、再選を果たした[5]。
※当日有権者数:42,786人 最終投票率:65.11%(前回比: 4.4pts)
候補者名 | 年齢 | 所属党派 | 新旧別 | 得票数 | 得票率 | 推薦・支持 |
---|---|---|---|---|---|---|
関眞 | 73 | 無所属 | 現 | 15,270票 | 56.5% | - |
川崎悦子 | 57 | 無所属 | - | 11,764票 | 43.5% | - |
2期目途中の2005年11月29日、急性心不全のため死去、75歳。死没日をもって旭日小綬章追贈、従五位に叙される[6]。
脚注
- ^ a b c d 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』290頁。
- ^ 『現代物故者事典 2003~2005』330頁。
- ^ 日高市(町)議会議員一般(補欠)選挙の記録 選挙の記録/日高市ホームページ
- ^ “歴代正副議長|日高市ホームページ”. www.city.hidaka.lg.jp. 2024年10月20日閲覧。
- ^ a b c 日高市(町)長選挙の記録 選挙の記録/日高市ホームページ
- ^ 『官報』第4253号9頁 平成18年1月12日号
参考文献
- 『新訂 現代政治家人名事典 : 中央・地方の政治家4000人』日外アソシエーツ、2005年。
- 『現代物故者事典 2003~2005』日外アソシエーツ、2006年。
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