鈴木雅之 (歌手)
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人物
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東京都大田区出身。幼少時代は内気で自己主張が苦手な子供であり、いつも姉と行動を共にしていた。姉は女番長であり、体も声も大きいことで有名で、鈴木自身もその影響を受けて、十代の頃は不良グループに所属し、喧嘩や暴走行為、ディスコ等に興じていた程のかなりのワルであったという。
常用しているサングラスも鈴木の内気な性格の裏返しとも言え、深夜に人々と会う際にもサングラスを着用していないことに不安を感じると発言している。
実家は旋盤の町工場で、鈴木の父が経営していた。また、鈴木自身も高校中退後、歌手デビューして以降も歌手活動が軌道に乗るまで、父の経営していた町工場で働いていた[注釈 3]。
シャネルズの他のメンバーの佐藤善雄や久保木博之とは中学校の同級生。
元タレントの田代まさしとは、悪童同士で高等学校入学初日に意気投合した仲。10代の頃は田代らと共に不良グループに所属していたこともある他、(鈴木と対照的に)父親と不仲だった田代が鈴木の家に居候生活していたこともあった。田代は鈴木の家族、特に鈴木の母親に気に入られ、可愛がられていたという。
父はシャネルズのメンバーを家族同然に受け入れており、メンバーらが鈴木の家に泊りがけで遊びに来た時等、朝食をもてなした事もあった。
2000年代からはラブソングの帝王、ラブソングの王様などと呼ばれるようにもなった。ライブなどでも「ラブソング王様鈴木雅之です」と自己紹介するのが定番であり、自身は「ナルシストっぽく思えても自信に満ち溢れたイメージに繋がる」と語っている。
10代の時、同級生らと趣味でバンド活動をしており、当時は楽器の演奏もこなしていたが、17歳の時バイク事故で足を怪我し、さらには工場の旋盤作業で手を痛めたことから楽器演奏を諦めた経緯がある。
中居正広のラジオ番組で、野球は巨人ファンだと公言したことがある。鈴木によると東京生まれということや、王貞治や長嶋茂雄に憧れていたことが、きっかけだったという。
幼少期からR&Bやフォークソングに傾倒しており、高校時代には映画『レッツ・ザ・グッド・タイム・ロール』に登場するソウルフルなドゥーワップにも刺激されている。また、姉も幼少時代からビートルズなどに傾倒しており、鈴木も姉の影響で音楽に傾倒するようになったと言う。
ソロシンガーとしては他のアーティストや音楽プロデューサーらが作詞・作曲した曲を歌うことが多いが、楽曲によっては鈴木自らが作曲または作詞作曲の双方を手がけることもあり[注釈 4]、他のアーティストに対しては姉の鈴木聖美[注釈 5]や小泉今日子[注釈 6]、小比類巻かほるらに楽曲提供している。また、ラッツ&スターでは、一部シングル曲とアルバム収録曲の大半を鈴木が作曲した。鈴木自身は「シンガーソングライター」ではなく「ヴォーカリスト」と称しており、他のアーティストや音楽プロデューサーが作詞・作曲・編曲した作品を自分なりの色に染め上げることが自分自身の役割だと述べている。ただ、自分の想いを伝えたいときは自分で曲を作るとも語っている。
かつては喫煙していたが、40代半ば頃からは尊敬している山下達郎が禁煙した事を受けて鈴木も禁煙している[注釈 7]。
扁桃腺が弱く、風邪を引きやすい体質のためか、日頃から喉の健康管理には人並み以上に気を遣っている。就寝時にもマスクを着用しているほどである。
大の甘党。「渋谷で5時」のミュージック・ビデオでは、鈴木が喫茶店で菊池桃子と待合せの際、クリーム・ソーダを注文するシーンが存在する。ライブ終わりには、おはぎを食べており「通はこしあん」と言い切るほどのこしあん派である。
愛犬家で、幼少期からずっと犬を飼い続けている。グループ時代には飼い犬を登場させたアルバム・ジャケットも存在する。ソロでも犬が登場するアルバムがいくつか存在する。
母方の祖父が大森の海苔漁師だったということもあり、大森海苔親善大使に任命された[4]。
注釈
- ^ Martinという愛称の由来は中学時代、映画『007シリーズ』のボンドカーであるアストンマーティンが好きだったことから(『MUSIC FAIR』でのトークより[出典無効])。同じくアストンマーティンが好きな「Aston(アストン)」の愛称を持つ友人がいる(『誰だって波瀾爆笑』でのトークより[出典無効])。
- ^ 鈴木はデビュー以来レーベル移籍は一度も行われておらず、一貫してエピックに所属。2021年現在エピックに於けるアーティストの中では最長の在籍期間(1980年から41年。シャネルズ・ラッツ&スター時代含む)を持っており、女性アーティストでは1985年にデビュー、36年在籍する渡辺美里が最長である。
互いに長らく共演する事は極稀になかったが、2011年に行われた渡辺のイベント『美里祭り2011』において初共演を果たし、代表曲『ロンリー・チャップリン』を熱唱している[3]。 - ^ シャネルズの他のメンバーも歌手活動が軌道に乗る迄他の仕事をやっていた。
- ^ 1986年以降リリースされているソロアルバムでは、鈴木自身が作曲した楽曲数曲と作詞作曲双方を担当した楽曲が必ず数曲収録されている。
- ^ 鈴木聖美に対しては、自身が専属的な音楽プロデューサーを務め、楽曲の提供やバックコーラス、アルバムのプロデュースに頻繁に参加している。また、1987年内の1年間のみ活動していた「鈴木聖美 with Rats&Star」では、村松邦男や伊藤銀次といった外部の音楽プロデューサーと協働して編曲も担当している。
- ^ 小泉の楽曲「Celebration」に於いて鈴木が作曲・編曲を手がけ、作詞は同じラッツ&スターの田代が担当している。
- ^ 山下は30代後半の時禁煙している。
- ^ 但し、「め組のひと」が『キン肉マン』に於いて二次使用とはいえアニメ作中で使用されている事実はある。
- ^ 「ランナウェイ」「め組のひと」を順に披露(「ランナウェイ」は冒頭のみ)。
出典
- ^ “「女の子に優しく接するように大切にしてきたレコード。今も当時のワクワクした気持ちを思い出させてくれる」 | 鈴木雅之”. 男の隠れ家デジタル. 株式会社三栄 (2020年4月13日). 2020年12月16日閲覧。
- ^ Masayuki Suzuki | Album Discography - オールミュージック. 2020年12月16日閲覧。
- ^ “渡辺美里と鈴木雅之が初共演 今夏ライブを開催” (日本語). オリコン株式会社. ORICON MUSIC (2011年6月3日). 2022年7月24日閲覧。
- ^ a b 2019年3月2日放送 人生最高レストラン TBSテレビ
- ^ “大人が憧れる大人なシンガー・鈴木雅之 溢れるロックンロールスピリットで響かせ続けるグッドミュージック”. Yahoo!ニュース (2020年7月24日). 2020年7月24日閲覧。
- ^ “MUSIC”. TVアニメ『かぐや様は告らせたい?〜天才たちの恋愛頭脳戦〜』公式サイト. 2022年6月12日閲覧。
- ^ a b “MUSIC”. TVアニメ『かぐや様は告らせたい-ウルトラロマンティック-』公式サイト. 2022年6月12日閲覧。
- ^ “我が心の大滝詠一”. NHK. 2021年4月28日時点のオリジナルよりアーカイブ。2021年5月1日閲覧。
- ^ “ゴスペラッツ「バリィさん」アニメ音楽担当、ナレーションは鈴木雅之”. 音楽ナタリー (2015年7月7日). 2015年7月7日閲覧。
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