都々逸
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/10 01:35 UTC 版)
発祥
扇歌が当時上方を中心に流行っていた「よしこの節」を元に、「名古屋節」の合の手「どどいつどどいつ」(もしくは「どどいつどいどい」)を取入れたという説が有力である。
名古屋節は、名古屋の熱田で生まれた神戸節(ごうどぶし)が関東に流れたもので、音律数も同じであることから、この神戸節を都々逸の起源・原形と考えるむきもある。実際、名古屋市熱田区の伝馬町には「都々逸発祥の地」碑がある。
都々逸が広まったのは、扇歌自身が優れた演じ手であっただけでなく、その節回しが比較的簡単であったことが大きい。扇歌の時代の江戸の人々は生来の唄好きであったため、誰でも歌える都々逸が江戸庶民に受け入れられ、いわば大衆娯楽として広まった。
七・七・七・五という形式について
今では、七・七・七・五という音律数自体が都々逸を指すほどだが、都々逸がこの形式のオリジナルというわけではない。都々逸節の元になったよしこの節や名古屋節の他にも、潮来節(いたこぶし)、投節(なげぶし)、弄斎節(ろうさいぶし)などの甚句形式の全国各種の民謡があげられる。
都々逸はこれらの古い唄や他の民謡の文句を取り込みながら全国に広まった。そのため、古くから歌われている有名なものの中にも別の俗謡等から拝借したと思われる歌詞がみられる。
例えば、
- 恋に焦がれて 鳴く蝉よりも 鳴かぬ蛍が 身を焦がす
という歌は山家鳥虫歌にも所収されているし、松の葉にもその元歌らしき、
- 声にあらわれ なく虫よりも 言わで蛍の 身を焦がす
という歌がある。
七・七・七・五はさらに(三・四)・(四・三)・(三・四)・五という音律数に分けられることが多い。この構成だと、最初と真中に休符を入れて四拍子の自然なリズムで読み下せる。
例えば、先の唄なら、
- △こいに こがれて なくせみ よりも△
- △なかぬ ほたるが みをこが す△△△
となる(△ が休符)。なお、この最初の休符は三味線の音を聞くため、との説がある。
寄席芸としての都々逸
近年の邦楽の衰退と共に、定席の寄席でも一日に一度も都々逸が歌われないことも珍しくなくなったが、少なくとも昭和の中頃までは、寄席では欠かせないものであった。即興の文句で節回しも比較的自由に歌われることも多い。
俗曲として唄われる場合は、七・七と七・五の間に他の音曲のさわりや台詞などを挟み込む「アンコ入り(別名・さわり入り)」という演じ方もある。都々逸が比較的簡単なものだけに、アンコの部分は演者の芸のみせどころでもあった。
また、しゃれやおどけ、バレ句なども数多くあるので、演者が楽器を持つ時代の漫才のネタとして、あるいはネタの形式として使われることも多かった。
作品例
- ついておいでよ この提灯に けして(消して)苦労(暗う)はさせぬから
- あとがつくほど つねっておくれ あとでのろけの 種にする
- あとがつくほど つねってみたが 色が黒くて わかりゃせぬ
- はげ頭 抱いて寝てみりゃ 可愛いものよ どこが尻やら アタマやら
- ^ 言葉の筋トレ16 白だ黒だとけんかはおよし 白という字も墨で書く成城学園中学校高等学校 2017年2月14日配信 2023年5月21日閲覧。
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