逍遥院 逍遥院の概要

逍遥院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/09 02:26 UTC 版)

逍遥院
逍遥院
所在地 山梨県甲府市桜井町999番地
位置 北緯35度39分41.8秒 東経138度37分15.2秒 / 北緯35.661611度 東経138.620889度 / 35.661611; 138.620889座標: 北緯35度39分41.8秒 東経138度37分15.2秒 / 北緯35.661611度 東経138.620889度 / 35.661611; 138.620889
宗派 曹洞宗
創建年 (伝)1579年
文化財 武田逍遥軒位牌(甲府市指定有形民俗文化財)
逍遥院文書(甲府市指定有形文化財)
法人番号 3090005000389
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逍遥院にある逍遙軒信綱の墓所

歴史

甲府盆地北縁の大蔵経寺山の南西麓に立地する。武田信廉は戦国時代の甲斐武田氏家臣で御一門衆。自邸近くに牌所として建て、自ら作成した位牌を収めた。天正10年(1582年)3月の織田信長徳川家康連合軍の武田領侵攻(甲州征伐)により、信廉をはじめとした武田氏家臣の多くは処刑された。当院は信廉の菩提寺となった。

文化財

甲府市指定有形文化財

  • 逍遥院文書
    当院には武田勝頼による寺領安堵状を始めとして、徳川四奉行の黒印状など中世から近世初期にかけての領主の文書、さらに大久保長安、平岡勘三郎、岩波七郎左衛門などの代官文書、合計9点が保存されており、なかでも1575年(天正3年)の武田勝頼による禁制は文書とともに高札も残されており、非常に珍しく貴重な資料である。1987年(昭和62年)指定。
  • 木造地蔵菩薩立像

甲府市指定有形民俗文化財

  • 武田逍遥軒位牌
    武田逍遥軒信綱(信廉)が、生前に作成しておいた自己の位牌である。信廉自ら自邸近くの当院に、死の3年前に納めたもので、位牌には「逍遥院殿海天綱公庵主・天正七年己卯年吉辰」とある。信廉は武田信玄の実弟であり、信濃高遠城城代などを務めている。
    また、画家としての活動もみられ、父信虎を描いた武田信虎画像(大泉寺所蔵)、母大井夫人を描いた大井夫人画像(長禅寺所蔵)はともに国の重要文化財に指定されている。位牌は1977年(昭和52年)甲府市指定有形民俗文化財に指定された。原則として非公開である。

脚注




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