近畿方言 歴史

近畿方言

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 21:53 UTC 版)

歴史

上代から近世までは日本文化経済の中心は畿内だったため、上代は奈良盆地、平安時代以降は京都の方言が長らく中央語とされ、文語も平安時代の貴族の京都方言を基に成立した(中古日本語)。日本語のなかで古代から連続して文献資料が残る唯一の方言であり、また文芸活動の中心地であったことから、日本語史を語る上で最も重要な方言である。長らくが置かれた京都では自らの方言を中央語と自負し、他地方の方言を卑しめる風潮が形成された。中世末にポルトガルなどから来日した宣教師も、公家の京都方言(御所言葉)を模範とすべき有力な日本語として扱っている(ジョアン・ロドリゲス日本大文典』など)。

歴史が変わるのは江戸時代後期、江戸幕府政権の安定に伴って江戸町人文化が成熟し、日本の文化・経済の中心が上方から江戸へ移行した時代である(化政文化も参照)。江戸では町人文化の発展とともに江戸言葉の地位が向上し、上方・江戸の二つの有力方言が併存・拮抗する日本語史上唯一の事態が生じた[注 1]。現代の関西と関東の方言対抗意識はこうした歴史背景から形成されたものである。滑稽本浮世風呂』(1808年)にも江戸女と上方女の言葉争いの描写がある(以下はその一部)。

「そんなら言はうかへ。江戸詞のからを笑ひなはるが、百人一首(ひやくにんし)の歌に何とあるヱ。」
「ソレソレ。もう百人一首(ひやくにんし)じゃ。アレハ首(し)じゃない百人一首(ひやくにんしゆ)じゃはいな。まだまアしゃくにんしト言はいで頼母しいナ。」
「そりゃア、わたしが言損(いひぞこねへ)にもしろさ。」
「そこねへ、じゃない。言損(いひそこない)じゃ。ゑらふ聞づらいナ。芝居など見るに、今が最後(せへご)だ、観念(かんねん[8])何たら言ふたり、大願(でへがん)成就忝(かたじけ)ねへなんのかの言ふて、万歳(まんぜへ)の、才蔵(せへぞう)のと、ぎっぱな[9]男が言ふてじゃが、ひかり人(て)のないさかい、よう済んである。」
「そりゃそりゃ。上方も悪い悪い。ひかり人ッサ。ひかるとは稲妻かへ。おつだネヱ。江戸では叱(しか)ると言ふのさ。アイそんな片言は申ません。」
「ぎっぱにひかる。なるほど。こりゃ私が誤た。」

上方言葉が権威ある言葉とされた江戸中期まで、江戸の上級武士や教養層は上方言葉を真似て話していたとされる。その後江戸言葉の地位向上に伴って上方風の話し方は廃れたが、一方で上方風の言い回しは「老人の言葉」「権威者の言葉」として歌舞伎戯作などでステレオタイプ化されていった。これが「わしは知らぬのじゃ」のような老人や古風な権威者(殿様など)の役割語の起源である(老人語も参照)[10]

江戸時代は、大坂が商都として栄え、京都を凌ぐ上方最大の都市となった時代でもある。豊かな経済力を背景に上方文化の一翼を担うようになり、言語面でも京都方言と大坂方言とで対抗意識が生じた。1759年洒落本『弥味草紙』にも以下のような描写がある[11]

此ごろ京よりきたるうかれ女、なにはのどうとんぼりといへる所のうかれ里にたよりてつとめしに、やゝもすれば京ことばをもつてひとをいやしめ、大きいはいかつい、ぬくいはあたたか、其外やごとなきことばのはし\゛/をおぼへて、そのうたてさかぎりなしとや

明治東京奠都によって標準語東京方言(とりわけ山の手言葉)を基に整備され、近畿方言は一地方方言に甘んずることとなり、近畿方言も標準語の影響を受けるようになっていった。もっとも、保科孝一1915年時点で「東京語は関東方言の系統に属するものであるが、しかしこれを基礎として標準語を制定する場合には、関西方言との調和を計ることは、ある程度まで必要である。[12]」と記すなど、近代以降も一定の影響力を残した。1954年梅棹忠夫が「第二標準語論[13]」(「関東系標準語」に対抗して関西系の第二の標準語を作ろうという論)を唱えたこともあるが、実現はしなかった。

現状

話者人口の多さや京阪神の文化力・経済力を背景に、近畿方言は依然有力な方言勢力である。特に大阪弁は演芸を通じて日本全国に広く認知されている。もっとも、演芸で用いられる大阪弁は全国の視聴者に分かりやすいよう共通語を交えたり、誇張したりする場合があるため、船場言葉をはじめとする伝統的な大阪弁とは異なる「吉本弁」だと揶揄する声もある[14]

近畿方言は、単に認知度が高いだけでなく、共通語や各地の方言に影響を及ぼすこともある。「一緒[15]」「しんどい」「ぼやく」「まったり[16]」「むかつく[17]」「ややこしい」「ヤンキー」など幅広い語彙が共通語に取り入れられたり、「関東はバカ、関西はアホ」だったのが東京でも「アホよりバカの方がきつく聞こえる」者が多数派となったりしている[18]

認知度の高さや、近世以来の江戸・東京への対抗心などから、近畿地方では自分達の方言への愛着や自負心が強いとされる。実際、2000年に大阪で行われた意識調査では、東京の言葉に対しては7割が「嫌い」「どちらかと言えば嫌い」、地元の言葉に対しては9割が「好き」「どちらかと言えば好き」と回答している[18]。しかし他の地方と同じく共通語化・東京方言化は進んでおり、若年層では共通語や東京の若者言葉が混合した以下のようなスピーチスタイルが主流となっている(1993年に大阪府寝屋川市で記録された20歳女性と21歳女性の会話の一部[19])。

A:やっぱり髪の毛さあ、このままパーマあてるか、ちょっとショートめに切るか、どうしよっかなあ、迷ってんねんやん。
B:短く切ったら?
A:うーん。そうやんなあ。結構、雑誌にあんまりいいの載ってないからなあ。

近畿地方には、京都の御所言葉、大阪の商人言葉(船場言葉や堂島言葉など)や芸能言葉(関西歌舞伎文楽上方落語など)、遊郭言葉(京都嶋原や大坂新町など)、志摩半島海人言葉、紀伊山地の林業や山岳信仰関係の言葉、伊勢獅子舞神楽言葉など、階層・職業別に多様な言葉遣いがあった。しかし近代以降、特に太平洋戦争後、旧来の階層社会や生活習慣が大きく変質したため、多様性は薄れている。多様性の衰退は地域間でも起こっており、交通網の発達に伴う大阪を中心とした大都市圏の拡大によって、「関西共通語」(関東のいわゆる首都圏方言に相当)とも言うべき方言に均質化しつつある。例えば、互いに意識し合い、大きな違いを見せていた京言葉と大阪弁も、そのような明確な傾向が見られるのは団塊の世代までに限られつつある。

演芸文化に支えられ、近畿圏の放送局ローカルバラエティ番組では、出演者やアナウンサーが方言でトークを進めることが珍しくなく、共通語の規範とされやすいNHKも例外ではない。方言がメディアという公の場で一定の幅を利かせているのは他の地方ではあまり見られないものである。一方で、メディアの強い影響力から、放送で話される方言は近畿方言均質化の一因にもなっている。

2014年には、facebookが関西弁を公式サポートした[20]2019年Vivaldiが関西弁の公式サポートを表明した[21]


注釈

  1. ^ ここまで、阪口篤義編『日本語講座第六巻 日本語の歴史』(大修館書店、1990年)の徳川宗賢「東西のことば争い」を参考文献とした。

出典

  1. ^ a b c 『国語学大辞典』東京堂出版、1995年、国語学会編、188頁。
  2. ^ a b c d 楳垣編 (1962)、5-14頁。
  3. ^ NIKKEI STYLE エセ関西弁、なぜバレる(謎解きクルーズ) 関西大学 日高水穂教授
  4. ^ a b 奥村三雄「関西弁の地理的範囲」『言語生活』202号、1968年。井上ほか編 (1996)にも収録(60-69頁)。
  5. ^ 楳垣実「近畿」『国文学解釈と鑑賞』「方言の日本地図」号、1954年。
  6. ^ 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、117-124頁。
  7. ^ 井上ほか編 (1996)、63頁。
  8. ^ 当時上方では「くゎんねん」と発音しており、「かんねん」は関東訛りとされていた。
  9. ^ 「立派な」の上方訛り。
  10. ^ 金水 (2003)、22-27頁。
  11. ^ 前田 (1977)、13頁。
  12. ^ 保科孝一『最近国語教授上の諸問題』、教育新潮研究会、1915年、29頁。
  13. ^ 梅棹忠夫「第二標準語論」『言語生活』第33号、筑摩書房、1954年。
  14. ^ 「新日本語の現場」方言の戦い 38 「吉本弁」ほとんど共通語、2006年6月8日付読売新聞
  15. ^ 「彼と一緒に暮らす」のような用法は共通語に元からあるが、「私と彼は趣味が一緒だ」のような「同一」という意味の用法は近畿方言から広まったもの。
  16. ^ 語自体は近畿方言に由来するが、現在全国で広く使われる「ゆったりと」という用法は本来の近畿方言ではあまり一般的でない。
  17. ^ 「吐き気がする」という用法は共通語に元からあるが、「腹立たしい」という用法は近畿方言から広まったもの。
  18. ^ a b 陣内正敬「コミュニケーションの地域性と関西方言の影響力についての広域的研究」、2003年。
  19. ^ 真田信治『地域語の生態シリーズ 地域語のダイナミズム―関西』おうふう、1996年。
  20. ^ Facebookが関西弁に対応、「いいね!」は「ええやん!」に” (日本語). GIGAZINE. 2019年11月22日閲覧。
  21. ^ 関西弁のネイティブスピーカー・ボランティア翻訳者、大募集! | Vivaldi日本語公式ブログ” (英語). Vivaldiブラウザー日本語公式ブログ (2019年11月15日). 2019年11月22日閲覧。
  22. ^ a b c d e 金水 (2003)、81-101頁。
  23. ^ 中央公論新社中央公論』2010年5月号
  24. ^ 鹿浦佳子「関西の大学生の関西弁受容意識 -関西出身大学生と非関西出身大学生の意識調査をもとに-」『関西外国語大学留学生別科 日本語教育論集第4号』1994年。
  25. ^ 例として、2011年7月8日に配信されたNEWSポストセブンの「エアコンガンガン使う女性「金払い電力使うの何で悪いんや」」など。
  26. ^ 「【新聞に喝!】関西大学副学長・黒田勇」2009年10月31日付産経新聞。
  27. ^ a b c 山下好孝「『ブランド』としての関西弁」『北海道大学大学院国際広報メディアジャーナル1』2003年。
  28. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 楳垣編 (1962)、15-29頁。
  29. ^ 楳垣実は「わたしの姓なども、東日本の人は[m「me」ŋaki]と発音するが、近畿人は[「u」megaki]と発音する人が多い。」と述べている。楳垣編 (1962)、19頁。
  30. ^ 牧村史陽は「ウの次にマ行の音が来る場合には、そのウはすべてンとなる。」と述べている。牧村史陽『大阪ことば事典』講談社、1984年、754頁。
  31. ^ 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、10頁。
  32. ^ 大阪コンベンション協会「大阪弁完全マスター講座 第三十四話 よろがわ」、2010年5月6日閲覧。
  33. ^ 飯豊・日野・佐藤編 (1982)、11頁。
  34. ^ 郡司隆男・西垣内泰介編著『ことばの科学ハンドブック』研究社、2004年、196-197頁。
  35. ^ 前田 (1977)、63-64頁。
  36. ^ 前田 (1977)、59頁。
  37. ^ a b c d e f 楳垣編 (1962)、30-36頁。
  38. ^ 井上ほか編 (1996)、246-247頁。
  39. ^ 井上ほか編 (1996)、250頁。
  40. ^ 井上ほか編 (1996)、248頁。
  41. ^ 「おる」に尊敬語を接続させるのは京阪では一般的でなく(通常「おらはる」や「おおりやす」などは誤用)、「おられる」はあくまで共通語として用いる。
  42. ^ 楳垣編 (1962)、392-393頁。
  43. ^ 近代初期までは江戸・東京でも敬体と「だ」を併用することがあった。
  44. ^ 東京の「です」も江戸後期の成立当初は限られた階層の表現であり、中流以上では用いなかった。(1917年『口語法別記』)
  45. ^ 東京の「です」とは別に、近世上方にも独自の「です」があったとする説もある。
  46. ^ 「『デアル』トイフ詞ニハ『花ヤ』『綺麗ヤ』『賑ヤカヤ』ナド『ヤ』トイフ 又『花ドス』『綺麗ドス』『賑ヤカドス』ハ従来一般ニ用ヰラレタル語ナリト雖近来漸次減少シテ『花デス』『綺麗デス』『賑ヤカデス』ノ方ニ移リ行ク傾キアリ」(1906年『口語法調査報告書(下)』の京都からの報告)
  47. ^ 宮治弘明「近畿方言における待遇表現運用上の一特質」『国語学』151集、1987年。
  48. ^ 楳垣 (1962)、56-57頁。
  49. ^ あるアメリカの旅行者が大阪の市バスの運転手に「次の駅止まりますか?」と聞いたところ「止まりま」と言われたため、関西弁を知らない人にはよくわからない返事の仕方に腹が立った旅行者は新聞に投書したという。
    末延岑生『ニホン英語は世界で通じる』〈平凡社新書〉2010年 ISBN 9784582855357 p16
  50. ^ 兵庫県高等学校教育研究会国語部会編『兵庫県ことば読本』東京書籍、2003年。
  51. ^ 富山県高岡市周辺でも使用される。
  52. ^ みなと舞鶴ちゃったまつりなるイベントが開催されるほど「ちゃった」は舞鶴弁の特徴とされるが、「ちゃった」の使用地域は丹波や播磨の一部(兵庫県多可町加美)にも分布する。
  53. ^ 大阪大学岡島昭浩「雑文・雑考「させて戴く」」、1996年7月4日、2009年11月29日閲覧。
  54. ^ 札埜(2006)p38-40、42
  55. ^ a b 鳥谷善史「関西若年層の新しい否定形式「~ヤン」をめぐって」『国立国語研究所論集』、国立国語研究所、2015年。
  56. ^ 「せう」の転。「しょう」がさらに転じたものが共通語の「しよう」とされる。
  57. ^ 楳垣 (1962)、55頁。
  58. ^ BBCニュースCongo word 'most untranslatable'」、2004年6月22日、2009年11月29日閲覧。
  59. ^ 札埜(2006年) p124
  60. ^ 前田 (1977)、167頁。
  61. ^ 前田 (1977)、170-172頁。
  62. ^ この用法は「嘘やん」以外では稀。
  63. ^ 前田勇(1949)『大阪辯の研究』
  64. ^ 前田 (1965)、202頁。
  65. ^ 『上方語源辞典』34頁。
  66. ^ 堀井令以知『上方ことば語源辞典』東京堂出版、1999年、46頁。
  67. ^ ある時、大鯛がとれ、若者6人で料理したが、1人がエラで指にけがをした。その際に「エラいたい、えらい鯛じゃ」と言ったことから、大きなものに対して「えらい」と言うようになったという。
    札埜(2006)p90-91
  68. ^ 朝日新聞 2003年6月5日
  69. ^ 札埜(2006)p148
  70. ^ 札埜(2006年) p116-117
  71. ^ 『上方語源辞典』131頁。
  72. ^ 札埜(2006年) p129
  73. ^ 札埜(2006年) p143
  74. ^ 札埜(2006)p83では「もし求愛の場面で『きしょい人!』と言われたら、もう脈はないと思うべし」と言葉のその意味合いについて記述されている。
  75. ^ 解釈学会編『解釈』第43巻(1997年、教育出版センター)に掲載された大阪府立阿部野高校教員の岡本利昭の「新科目『現代語』の授業の一思案 阿倍高の言葉・『きもい』『きしょい』考」という54人の高校生に試みた質問紙調査によると、「きしょい」について「強い不快感を感じる時に使う」と答えた生徒は26%、「それほど強い嫌悪感が無いときに使う」と答えた生徒は15%。「きもい」に対して「軽い不快感を感じる言葉」と答えた生徒は33%、「強い不快感、見るのも嫌なものに対する言葉」と答えた生徒は20%であった。
    札埜(2006)p74
  76. ^ 札埜(2006年) p143-144
  77. ^ 東京では本来「明日→あさって→やのあさって→しあさって」の順だった。
  78. ^ 例えば『大阪ことば事典』 (講談社学術文庫、1984年) ISBN 978-4061586581 には掲載されていない。
  79. ^ 札埜(2006)、p67-68
  80. ^ a b 札埜(2006年) p131
  81. ^ 『上方語源辞典』262頁。
  82. ^ 札埜(2006年) p152
  83. ^ 札埜(2006年) p128
  84. ^ 元来より総じて否定的な意味で使われる言葉であった。そのため、2001年にエプソンが優香を起用して「どキレイ」というキャッチコピーを、2003年に日清食品が上戸彩を起用して「どうまい」というキャッチコピーを発表したことに関しては言語学の専門家による非難の対象になり、前者は2002年に開かれた「なにわことばのつどい」第20回記念総会(テーマ「大阪辯の誤用・悪用を正す」)の中でも批判された。
    札埜(2006年) p45
  85. ^ ど根性大根」のように肯定的に用いるのは戦後からの用法で、元は「腐った根性」「曲がった根性」といった意。
  86. ^ 札埜(2006年) p47では「こういうときは『まん真ん中』というと美しい」とする「なにわことばのつどい」代表世話人の中井正明の意見が引用の形で掲載されている。
  87. ^ 札埜(2006年) p175
  88. ^ 札埜(2006)p149
  89. ^ 朝日新聞 2004年5月21日
  90. ^ a b 札埜(2006年) p119-120





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