西巌殿寺 行事

西巌殿寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/11 21:53 UTC 版)

行事

阿蘇山観音祭り

阿蘇山西巌殿寺では、毎年4月13日に「阿蘇山観音祭り」が行われる。修験者による火渡り、湯立の荒行が執り行われる。開催日は明治時代の住職である厨亮俊の命日に因む。厨亮俊は、筑後国御井郡(現在の福岡県久留米市御井)に生まれ、比叡山に上り修行した。若くして権僧正に補任され、比叡山西塔の寺院の住職となる。廃仏毀釈によって一時還俗するが、西巌殿寺復興の際に請われて権僧正に復帰し、明治9年に晋山した[6]。翌年に西南戦争が起こり、阿蘇では農民一揆が起こった。県令より届いた討賊の勅書、旧藩主細川家よりの示諭文を携えて各村を巡回し、一揆などその方向を誤ることの無いよう説いた。それが薩軍に聞こえ、囚われて坂梨(阿蘇市一の宮町坂梨)の酒屋大黒屋の庭先において拷問を受けた。それが元で同年4月13日に息を引き取った。その勇気ある行動を称えて有志により西巌殿寺境内に墓所を作り、その墓石に厨亮俊の功績を刻み、毎年4月13日に「招魂祭」を執り行うようになった。

昭和50年代に当時の住職により、厨亮俊の慰霊祭である招魂祭にあわせて、火渡り、湯立て等の荒行を修験者が行う祭りを合わせて行うようになり、名称も「阿蘇山観音祭り」と改めた。

年間行事

  • 2月3日  節分会星祭
  • 4月13日  阿蘇山観音祭り
  • 8月16日  地蔵盆 
  • 秋彼岸   永代供養会 水子供養会

文化財

重要文化財(国指定)

  • 紺紙金泥般若心経 1巻 後奈良院宸翰 附:従三位惟豊添状
  • 仏舎利渡状 懐良親王筆、天授元年(1375年)

熊本県指定重要文化財

  • 絹本著色阿弥陀三尊来迎図
  • 山上本堂の仏像 十一面観音立像 平安時代作
    • 前立十一面観音立像・不動明王立像・毘沙門天立像 鎌倉時代作
  • 僧房の仏像 阿弥陀坐像・誕生仏・大黒天 鎌倉時代作

他に、本堂と仏像7体(いずれも元・熊本県指定重要文化財)があったが、2001年9月に不審火で焼失している。

アクセス

阿蘇登山道路坊中線を阿蘇五岳に向かい南下すると、道路沿い右手に位置する。


  1. ^ 九州観光と温泉 西巌殿寺” (日本語). 株式会社システム工房. 2008年7月20日閲覧。
  2. ^ a b c みんなで護ろう文化財Vol.4西巌殿寺 (PDF)” (日本語). 阿蘇市. 2008年7月20日閲覧。
  3. ^ a b c d 地域発ふるさとの自然と文化「西巌殿寺」” (日本語). 熊本県地域振興部情報企画課. 2008年7月20日閲覧。
  4. ^ 慈恵大師良源は985年に没しているので、最栄が直弟子とすれば年代が合わない。
  5. ^ 今月の災害・事故(平成13年)2001年9月” (日本語). 西日本新聞. 2008年7月20日閲覧。
  6. ^ 御井町1 厨家” (日本語). 御井町. 2008年7月20日閲覧。


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