行方不明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/27 13:09 UTC 版)
歴史に見る行方不明
日本の江戸時代には「欠落」と呼ばれて、親族や五人組にはこれを連れ戻す義務があり、これが果たせない場合には彼らも処罰された。これは耕作に従事する労働者が勝手に土地を離れ、農業生産力が低下するなどの問題を回避することを目的とする。なお、捜索が断念されて人別帳から除かれたものを無宿(無宿者)と呼んだ。
作戦行動中行方不明
戦争、軍事作戦時に行方不明になった兵士などを作戦行動中行方不明または、戦闘中行方不明として扱うことがある。略語は、Missing In ActionからMIA。アメリカ合衆国では、ベトナム戦争時に行方不明になった兵士を扱う映画が多数製作される[6]など関心が高く、2010年代においてもアメリカ国防省は担当部局を置き、情報収集と捜索を続けている[7]。
安否不明
日本において安否不明とは、災害が原因で所在不明、かつ、死亡の疑いがある状況をいう[8]。 2011年に発生した東日本大震災では、災害の規模が大きかったこと、被災者の避難先が多様かつ広範で個人単位の消息を掴むことが難しいことなど、人的被害の把握が困難な状況となった。このため消息をつかめない者を一律に行方不明として扱わず、まずは安(無事)か否(負傷か死亡)を確認するため、自治体が安否不明者として氏名や年齢、居住地などの情報を公表した。しかし、必要な安否確認とはいえ個人情報を公開することはプライバシーを侵害する恐れもあり、公表の是非や内容、範囲、手法等は検討の余地があり課題として残された[9]。
2021年(令和3年)7月3日、静岡県で熱海市伊豆山土石流災害が発生。多数の建物が巻き込まれて被害に遭った住民の救出が難航したことから、静岡県は同年7月5日に住民基本台帳を基に安否不明者リストを公表。直後から避難した本人や知人などから連絡があり、捜索対象者や捜索範囲を絞り込める効果が得られた[10]。このことを教訓に2023年(令和5年)3月24日、内閣府は自治体に判断が委ねられていた災害時の安否不明者の氏名公表等に関して、統一基準を盛り込んだ指針(「防災分野における個⼈情報の取扱いに関する指針」)を公表。安否不明者の氏名、住所、年齢または年代、性別については家族の同意がなくても原則公表できること、ドメスティックバイオレンスやストーカー被害者については住民基本台帳の閲覧制限より確認することなどを示した[11]。
2024年(令和6年)1月1日に発生した能登半島地震では、同年1月3日より石川県が安否不明者の氏名、住所、年齢について情報公開を始めた[12]。
脚注
- ^ “行方不明者発見活動に関する規則 第2条第1項”. e-Gov. 2020年1月27日閲覧。
- ^ 例:国宝の仏像、右手が行方不明に_平等院の雲中供養菩薩(2013-06-19閲覧)
- ^ “「捜索となると費用がかかることを前提にしてほしい」富士山で遭難したら…山のプロに聞いてみた”. TBS NEWS DIG (2023年8月12日). 2024年1月13日閲覧。
- ^ “「家を出て行った娘の居場所が知りたい」母の執念、こじれた親子関係「修復には逆効果」 - 弁護士ドットコムニュース”. 弁護士ドットコム (2021年3月9日). 2024年1月13日閲覧。
- ^ “silver alert”. 情報・知識&オピニオン imidas. 2023年12月31日閲覧。
- ^ “MIA/戦闘後行方不明”. Allcinema. 2018年6月15日閲覧。
- ^ 一橋弘人 (2014年6月27日). “ベトナムは行方不明(MIA)兵捜索でアメリカにすすんで協力”. VietnamPlus. 2018年6月15日閲覧。
- ^ “曖昧な情報もあえて公表、石川県 安否不明者、増減の理由”. 東京新聞 (2024年1月10日). 2024年1月12日閲覧。
- ^ “東日本大震災・安否情報システムの展開とその課題”. 日本放送協会「放送研究と調査」2012年6月号 (2012年). 2024年1月12日閲覧。
- ^ “名簿公表で41人の所在確認 安否確認と捜索救助を急ぐ”. NHK政治マガジン (2021年7月6日). 2024年1月12日閲覧。
- ^ “災害安否不明者の情報、家族同意なしで原則公表 国指針”. 日本経済新聞 (2023年3月24日). 2024年1月12日閲覧。
- ^ “石川県、安否不明者の氏名・住所・年齢を公表 速やかな救助狙う”. 朝日新聞 (2023年1月4日). 2024年1月12日閲覧。
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