第36回スーパーボウル
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/12 10:53 UTC 版)
背景
9.11
NFLの2001年シーズン開幕直後、2001年9月11日にアメリカ同時多発テロ事件が起こった。NFLは1週間中断となり、当初1月27日に開催予定だった本大会は2月3日に変更となった。そのため第36回スーパーボウルは1月以外に行われた初めてのスーパーボウルとなったが、その後同大会の2月開催は頻繁に行われるようになった。
道のり
- セントルイス・ラムズ (2001 St. Louis Rams season)
セントルイス・ラムズは2年前の1999年シーズンに第34回スーパーボウルを制覇しチーム史上初のNFL王者に輝いた。翌2000年シーズンはディフェンスの不調もありプレーオフで敗れたもの、QBカート・ワーナー、RBマーシャル・フォークなどを擁する圧倒的なオフェンスは健在で、「 芝生の上で行われる最高のショー」(The Greatest Show on Turf)はまさに最盛期をむかえていた。オフにはリーグ最多失点を喫したディフェンス陣の大幅な補強に成功し、開幕前からスーパボウル出場の有力候補と目されていた。チームは開幕から6連勝と波に乗ると終盤にも6連勝を果たしリーグトップの14勝2敗で順当にプレーオフ出場を決めた。自慢のオフェンスはリーグトップの成績をおさめ、QBワーナーがリーグMVPに、RBフォークはリーグ最優秀攻撃選手に選出された。さらに昨シーズン大きく足を引っ張ったディフェンスも失点はリーグ7位、ヤードはリーグ3位とNFLトップクラスの成績をマークしチーム史上最高記録となるレギュラーシーズン14勝に貢献した。
- ニューイングランド・ペイトリオッツ (2001 New England Patriots season)
ニューイングランド・ペイトリオッツは2000シーズンにビル・ベリチックがHCに就任するも5勝11敗と成績は振るわず、エースQBドリュー・ブレッドソーやディフェンスの要ローヤー・ミロイを除けばタレント不足は否めなかった。ドラフトでは全体6位で大型新人のリチャード・シーモアを獲得したが、前年のシーズンは攻守とも低調だったこともあり前評判は高くなかった。開幕戦で敗れると続く第2週にエースのブレッドソーが怪我を負い交代を余儀なくされた。代わりにQBを務めたのは2年目のトム・ブレイディであった。ブレイディは2000年のドラフト6巡指名(全体199位)選手で、ルーキーシーズンは3回パスを投げただけであった。エースQBを失ったことでチームはますます厳しい戦いになることが予想されたが、リスクを避けボールコントロールを重視するブレイディのプレースタイルは徐々にチームにフィットしていき、序盤を5勝5敗で乗り切った後は6連勝を果たして見事AFC東地区を制覇した。ブレッドソーが戻った後も先発QBを任されたブレイディはプロボウルにも選ばれる活躍でオフェンスを引っ張った。ベリチックの指揮するディフェンスはヤードこそリーグ24位であったが失点の少なさはリーグ6位、さらにリーグ8位となる35個のターンオーバーを奪うなど優秀な成績をおさめた
両チームは第10週にペイトリオッツのホームで対戦している。このときは24-17でラムズが勝利しているが、ペイトリオッツはこの試合以後無敗でレギュラーシーズンを終えた。
- プレーオフ (NFL playoffs, 2001-02)
NFC第1シードのラムズはディビジョナル・プレーオフでQBブレット・ファーヴ率いるグリーンベイ・パッカーズと対戦した。ファーブはレギュラーシーズンで素晴らしい活躍を見せており、ワーナーとの名QB同士の対決には注目が集まったが、ラムズディフェンスはファーブから6つのINTを奪うなどパッカーズから計8つのターンオーバーを奪い45-17の圧勝をおさめた。NFCチャンピオンシップゲームではフィラデルフィア・イーグルスと対戦し、前半こそリードを許したが後半に逆転して試合を優位に進めると終盤はイーグルスの反撃を振り切って29-24で勝利し、過去3年間で2度目のスーパーボウル出場を決めた。
AFC第2シードのペイトリオッツはディビジョナル・プレーオフでオークランド・レイダースと対戦した。豪雪のなか第4Qで最大10点のリードを許すもQBブレイディの活躍で3点差まで追い上げる。試合時間残り2分6秒からはじまったペイトリオッツのドライブでは疑惑の判定の後アダム・ビナティエリが45ヤードのFGを決めて同点とすると、続くオーバータイムでもビナティエリがFGを決めて16-13と劇的な勝利をおさめた。この試合はタック・ルール・ゲームと呼ばれ、疑惑の判定はしばしばNFL史上に残るミスジャッジとしてあげられることがある。AFCチャンピオンシップゲームではAFC第1シードのピッツバーグ・スティーラーズと対戦した。第2QにQBブレイディが足を負傷するアクシデントがあったが、代わりに入ったブレッドソーがTDパスを決めるなどしっかりと代役を果たす。さらにスペシャルチームがビッグプレーを連発して21-3とリードすると最後はスティーラーズの反撃を振り切って24-17で勝利し、前評判を覆してスーパーボウル出場を決めた。
試合前
多くのメディアはラムズの圧倒的勝利を予想した。Spread bettingはラムズに14点のハンデをつけ、メディアの中には「99.9%ラムズが勝つ」と謳ったものもあった。一方で同時多発テロがあったシーズンに「愛国者」の名を冠するチームが勝ちあがってきたことを運命的にとらえるメディアもあり、ペイトリオッツを「Team of Destiny」(運命に導かれたチーム)と呼ぶこともあった。しかし2年前にスーパーボウル制覇を成し遂げたばかりで、このシーズンも攻守にわたりリーグトップクラスの成績をおさめたラムズの優位は絶対との意見が大半であった。またチャンピオンシップゲームでブレイディが負傷したこともあり、ベリチックがブレイディの先発を明言したにもかかわらずファンやメディアは先発QBにブレッドソーとブレイディのどちらを起用すべきかこぞって議論した。
迎えたスーパーボウル当日。テロの影響もあって厳戒体制が敷かれるなか、テレビ中継やセレモニーなどはアメリカの愛国心を刺激するようなものが多くマライア・キャリーの国歌斉唱の後には観客から大きなUSAコールが巻き起こった。選手入場の際、ラムズはオフェンスの先発メンバーが一人ずつ入場したがペイトリオッツはチーム全員で同時に入場した。当時のスーパーボウルの選手入場ではHCがオフェンスかディフェンスを選択し、選んだほうの先発メンバーが一人ずつ入場するのが通例であったが、ペイトリオッツのHCビル・ベリチックはチームとして入場することを提案した。はじめはこれを認めなかったNFLだが後に認め、ペイトリオッツはチームとしてコールされ全員で入場した。ジョージ・H・W・ブッシュ元大統領が参加したコイントスの際もペイトリオッツはほぼ全員がフィールドに入ってコイントスに参加した。
- ^ http://tvbythenumbers.com/2009/01/18/historical-super-bowl-tv-ratings/11044
- ^ “HOT OFF THE GRIDIRON #68”. 2010年8月16日閲覧。
- ^ a b “Fan vote helps Brady eke out MVP”. St. Petersburg Times (2002年2月8日). 2008年3月22日閲覧。
- ^ “Top 10 Super Bowl Halftime shows”. SI.com. 2009年2月1日閲覧。
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