第18回NHK紅白歌合戦 後日譚

第18回NHK紅白歌合戦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/28 21:25 UTC 版)

後日譚

  • 第13回1962年)から6年連続司会を務めてきた宮田だったが、翌年の第19回および第20回1969年)は白組司会を坂本九に譲り、自身は総合司会を担当することになったため[3]、白組司会担当は今回で一旦ストップ。宮田は第21回1970年) - 第24回1973年)に白組司会に復帰した。
  • 翌年も九重は紅組司会の候補に挙がるも、紅組司会は水前寺清子に交代となる(九重の紅組司会担当は今回1度限り)。また、前回のペギー・今回の九重は「たとえ歌手であっても司会に専念してもらう」という方針で出場歌手には非選出で司会に徹したものの、翌年の水前寺・坂本が歌手兼司会となったことでこれは解禁された。なお、九重も翌年は出場歌手として返り咲き出場を果たした。
  • 今回で開始以来続いた組司会にNHKアナウンサーが起用される体制は一旦終了となる。

脚注

参考文献

  • NHK『テレビ50年 あの日あの時、そして未来へ』(NHKサービスセンター 2003年2月)
  • 合田道人『紅白歌合戦の舞台裏』全音楽譜出版社、2012年12月15日。ISBN 978-4-11-880178-0 

関連項目


注釈

  1. ^ 当時は司会と歌手の兼任は原則認められていなかったが、第14回1963年)の江利は当初司会に内定していた森光子が舞台の都合で辞退したため、特例で兼任が認められていた。
  2. ^ メンバーの植木等はソロを含めて6度目。
  3. ^ 妊娠のため、活動休止中。
  4. ^ 歌手としては辞退し、司会に専念。

出典

  1. ^ 合田, p. 94.
  2. ^ 合田, pp. 94–95.
  3. ^ ここ6年間白組司会を務めた宮田と釣り合う紅組のタレント司会者の選考に苦労していたことから、宮田を総合司会とし、両組司会を「歌謡界に精通した人」「視聴者の支持を得られる人」という基準で選考を行った。その結果、水前寺清子・坂本がそれぞれ司会に選出された。


「第18回NHK紅白歌合戦」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「第18回NHK紅白歌合戦」の関連用語

第18回NHK紅白歌合戦のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



第18回NHK紅白歌合戦のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの第18回NHK紅白歌合戦 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS