神流川の戦い
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神流川の戦い
両軍の陣容
- 尾張衆
- 関東衆
戦いの推移
6月18日、初戦は滝川勢が、北条氏邦の配下であった斎藤光透とその弟・斎藤基盛が守る金窪城(武蔵児玉郡)と川井城を攻め、陥落させた[19]。更に金窪原で行われた合戦では、信玄・勝頼の旧臣を主体とした上州衆と滝川勢が、北条氏邦の鉢形衆5千と戦い、石山大学、保坂大炊介を討ち取ったが、上州衆も佐伯伊賀守が討ち取られた。しかし最終的には北条方が敗れて追撃を受け二百余人が討ち取られた[1]。またこの戦いに北条氏直も参加し、「鉢形衆3百人に加え氏直の身辺の者多数が討ち取られた」との記録もある(松平義行氏所蔵文書)[18]。
6月19日の合戦では、先ず北条氏直が2万の兵を率い、滝川一益は手勢3千を率いて戦い、北条氏直の兵が敗走した[1]。北条氏政はこれを見て1万の兵を弟の北条美濃守氏則(氏規)に与え滝川勢を囲み攻めた[1]。一益は当初の手筈通りに後陣の上州衆を投入しようとしたが北条高広をはじめとする諸将の出足が鈍く進軍してこなかった[2]。これを見て滝川一益は、関東衆は頼りにならないと考え[2]、「運は天にあり、死生命あり、敵中に打ち入りて、討死せよ」と下知し敵中に討ち入った。この為、囲んだ北条方は逆に追い立てられ、最後には北条氏則が30騎程で打ってかかり滝川勢と渡り合った。この時、北条方の3百余人が討死したという[1]。しかし兵を立て直した北条氏直が再度滝川勢を攻めると、滝川一益も夕刻には敗走した。この時、滝川方の重臣・篠岡、津田、太田、栗田など5百騎が踏み止まって討死し[1]、滝川方の上州衆では木部貞朝[20]、倉賀野秀景の子(五郎太、六弥太)等が討死した。
滝川一益の逃走
同19日、滝川一益は、倉賀野城を経て厩橋城に退却し、城下の長昌寺において戦死者の供養を行った[21][5]。翌20日一益は上州衆の人質であった北条高広の次男などを解放し[2]、そして同夜、上州衆を箕輪城に集め別れの酒宴を開いた[22]。この時、一益が自ら鼓を打って、「武士の交り頼みある仲の酒宴かな」(羅生門)と謡うと、倉賀野秀景は「名残今はと鳴く鳥の」(源氏供養)と唄い、互いに名残惜しんだと伝わる[1][23]。一益は太刀、長刀、金銀、秘蔵の懸物等を上州勢に与え、深夜に箕輪城を旅立った。
翌21日、滝川一益は松井田城にて津田秀政とその旗下・千五百騎を加えて2千強の兵とし、碓氷峠を越え、同日のうちに道家正栄が守る小諸城に着陣した。一益は、ここで佐久郡・小県郡の国衆の人質(依田康国や真田昌幸の老母など)を木曾義昌に引き渡すことにより木曽谷の通過の容認を得て、27日に小諸城を立った[24]。この時、一益は、小諸城を依田信蕃に引き渡すよう、道家正栄に命じたという[25]。
翌28日に滝川勢は下諏訪に着き、ここで木曾義昌の通行認可の返書を受け取り[26]、木曽谷を通過し織田家の領国である美濃に入ると、尾張の清洲にて三法師(織田秀信)に拝礼し[1]、7月1日に伊勢長島に帰還した[27]。
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- ^ 『松平義行氏所蔵文書』六月二十二日付某書状
- ^ 『富岡家文書』七月二十日付富岡六郎四朗宛北条氏直書状
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