矢掛町
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/31 08:34 UTC 版)
概要
岡山都市圏及び岡山都市雇用圏に含まれており、特に倉敷との繋がりが深い。また30分程度の距離である福山市への通勤も多い。
町の面積の半分ほどを旧美川村域など、中山間地域が占めており、比較的面積が広い町であるが、人口のほとんどが平野部、特に矢掛、川面、小田に集中し、その他の地域との人口格差が顕著である。
川面地区は住宅開発が進み、倉敷や福山圏のベッドタウン化が緩やかにある。山田、三谷地区も倉敷に隣接する利便性から若い世代が多く住む傾向にあり、これからの住宅開発が期待される。逆に中心部の矢掛地区は観光地化が進み、住宅開発は重点的にされておらず中心部としては比較的高齢化が進んでいる。
近年はホタルの里として東京や大阪の百貨店などに、町内で飼育されたホタルを持ち込み「ホタル展」を行うなどPR活動を行っている。また、2006年(平成18年)10月10日から、倉敷市、浅口市、笠岡市、井原市などとともにご当地ナンバーである「倉敷ナンバー」が導入された。
矢掛町中心部において、スーパーなどは少ないが、小学校区として隣の川面地区から小田地区にかけてスーパーやドラッグストア、百均などが進出している[要出典]。この地区は井原市美星町、笠岡市北川地区などからの買い物客も集め、商圏を確立している。(商圏人口は25,000人。※矢掛町、美星町、笠岡市の一部地域)
地理
- 山:高滝山(506m)、遙照養子山(406m)、鷲峰山(399m)
- 河川:小田川、星田川、美山川
- ダム:鬼ヶ嶽ダム、第二星田ダム
隣接している自治体
歴史
- 1889年(明治22年)6月1日 町村制施行により小田郡矢掛村・美川村・三谷村・山田村・中川村・川面村・小田村が発足。
- 1896年(明治29年)2月26日 矢掛村が町制施行して矢掛町となる。
- 1954年(昭和29年)5月1日、矢掛町と美川村・三谷村・山田村・川面村・中川村の1町5村合併により新たに矢掛町が発足。
- 1961年(昭和36年)1月15日、小田町を編入合併し現在の町域となる。
行政
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