県犬養姉女 県犬養姉女の概要

県犬養姉女

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/09 00:53 UTC 版)

人物

淳仁朝天平宝字7年(763年)に従六位下から従五位下に叙され、ついで藤原仲麻呂の乱直後の翌8年(764年)9月、一族の内麻呂らとともに大宿禰を賜った。天平神護元年(765年)正月には仲麻呂の乱の論功褒賞で従五位上にまで昇ったが、神護景雲3年(769年)、忍坂女王石田女王不破内親王らと共謀して塩焼王の子・氷上志計志麻呂天皇に擁立しようとしたとして、称徳天皇を呪い殺そうとした嫌疑を受け氏の名を犬部と改めさせられ遠流に処された[2]。その後の宝亀2年(771年)に前の嫌疑は丹比乙女の讒言だったとして本姓に復した[3]。翌年の宝亀3年(772年)正月には再び従五位下に叙せられた[4]

官歴

『続日本紀』による

脚注

[脚注の使い方]

関連項目

参考


  1. ^ 上田正昭、津田秀夫、永原慶二、藤井松一、藤原彰、『コンサイス日本人名辞典 第5版』、株式会社三省堂、2009年 11頁。
  2. ^ 『続日本紀』巻第二十九、称徳天皇、神護景雲3年5月29日条
  3. ^ 『続日本紀』巻第三十一、光仁天皇、宝亀2年8月8日条
  4. ^ 『続日本紀』巻第三十二、光仁天皇、宝亀3年正月10日条


「県犬養姉女」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「県犬養姉女」の関連用語

県犬養姉女のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



県犬養姉女のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの県犬養姉女 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS