甘露寺忠長 (1909年生)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 甘露寺忠長 (1909年生)の意味・解説 

甘露寺忠長 (1909年生)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/12 17:22 UTC 版)

甘露寺 忠長(かんろじ ただなが、1909年明治42年〉4月29日[1] - 1937年昭和12年〉3月24日[1])は、明治時代から昭和時代にかけての華族[2]伯爵甘露寺受長の嗣子[2]。位階は従五位[2]

生涯

1909年明治42年)4月29日甘露寺受長の長男として誕生する[1]。母は北白川宮能久親王第一王女の満子女王[1]。姉に績子、壽子がいる[1]

1929年昭和4年)5月15日、20歳で従五位に叙爵された[3]

1930年(昭和5年)3月28日旧制学習院高等科文科丙類を卒業した[4]。同年4月3日京都帝国大学経済学部に入学した[5]

1933年(昭和8年)3月30日、学士試験に合格したことにより京都帝国大学を卒業した[6]

1937年(昭和12年)3月24日、卒去した[1][2]。これに伴い、弟の親房が嗣子となった。

脚注

出典

  1. ^ a b c d e f 霞会館 1996, p. 477.
  2. ^ a b c d 『官報』第3070号 1937, 「彙報:華族卒去」.
  3. ^ 『官報』第837号 1929, 「叙任及辞令」.
  4. ^ 『官報』第983号 1930, 「彙報:卒業証書授与」.
  5. ^ 『官報』第1008号 1930, 「彙報:新入学生宣誓式」.
  6. ^ 『官報』第1886号 1933, 「彙報:学士試験合格者」.

参考文献

官報




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  甘露寺忠長 (1909年生)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「甘露寺忠長 (1909年生)」の関連用語

1
6% |||||

甘露寺忠長 (1909年生)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



甘露寺忠長 (1909年生)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの甘露寺忠長 (1909年生) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS