片埜神社 摂末社

片埜神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/03 14:52 UTC 版)

摂末社

境内社

依姫社(境内社)
瘡神社(境外社)

境外社

両社とも境内地の東方にあり、枚方東消防署阪出張所を挟むように建っている。

  • 朝原神社 - 祭神:猿田彦命。旅行安全・子孫繁栄の神とされる
  • 瘡神社 (くさがみ-) - 祭神:火酢芹命
    • 菅原道真大宰府へ向う途中、当地で道真の馬が病気で倒れた。回復の見込みがないため道真一行は馬を地元の人に託して出発した。馬は介抱の甲斐なく亡くなり、路傍に埋葬された。その場所は、地元の人が馬に供えた草でいっぱいになったことから、いつしか「草神様」と呼ばれるようになった。この「草」が「瘡(くさ)」と同音であることから、後に瘡(皮膚病)に霊験のある神とされるようになり、社名も「瘡神社」となった。現在の祭神は火酢芹命であるが、これは後に定められたものである。
    • 本殿がなく、拝殿の後にある池を拝む形になる。道真の馬が祀られる以前から池が信仰の対象となっていたようである。現在拝殿となっている建物は、以前は「お籠り堂」として使われていたもので、皮膚病平癒の祈願のためのお籠りが行われていた。

文化財

重要文化財

  • 本殿 附:棟札(1枚) - 「再興慶長七年壬寅十一月如意珠日」の記がある。

大阪府指定有形文化財

  • 片埜神社 2棟
    • 東門
    • 南門
  • 石造灯籠 - 鎌倉時代末期ごろ[4]

所在地

  • 大阪府枚方市牧野阪2丁目21-15

アクセス

脚注

参考文献

  • 片埜神社略記(社務所にて頒布のもの)
  • 岡田桃子『神社若奥日記 鳥居をくぐれば別世界』〈祥伝社黄金文庫〉2004年1月。ISBN 4-396-31339-X 

関連項目


  1. ^ a b c d e f g h i 由緒沿革”. 片埜神社. 2024年6月2日閲覧。
  2. ^ 枚方教育委員会 編『楽しく学ぶ枚方の歴史』枚方教育委員会、2006年3月31日。全国書誌番号:21124110 
  3. ^ 「蝦夷の統領ここに眠る? 阿弖流為処刑地と埋葬場所見つかる 地元の人々が保存 大阪枚方 古くから首塚の伝承」『河北新報』河北新報社、1979年3月25日、12版、18面。
  4. ^ a b c d 「片埜神社」『枚方市の社寺建築』枚方市教育委員会〈枚方市建造物調査報告III〉、1994年3月31日、34-40頁。全国書誌番号:97035268 


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