熊川哲也
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/09 14:25 UTC 版)
熊川 哲也(くまかわ てつや、1972年3月5日 - )は、日本の北海道旭川市出身[1][2]のバレエダンサー・振付家・演出家である。英国ロイヤル・バレエ団の元プリンシパル。1999年Kバレエカンパニー(現 K-BALLET TOKYO)を創立し、芸術監督を務める。2003年よりKバレエスクール主宰。2012年よりBunkamura オーチャードホール芸術監督。独身。
注釈
- ^ 当時、スカラーシップを提供する「プリ・ド・ローザンヌ・スカラーシップ」、コンクールを通して最高の演技をしたダンサーを表彰する「ゴールドメダル」、東京開催を記念した「高円宮賞」の3賞を同時受賞した。
- ^ 同コンクールでは、決選以外は拍手を禁止されているが、予選の段階から観客の拍手が鳴り止まなかった。また、当時のテレビ解説者が熊川のドン・キホーテのバジルを評して「少し芝居がかっていますが、素晴らしいですね。彼は既にプロとしてやっていけます。今は膝下が少し短いようですが、成長すればそれも…。」とコメントした。なお、このコンクールの解説者は、クロード・ベッシー元オペラ座バレエ学校校長と混同されがちだが、東京大会の解説者はヴィオレット・ヴェルディである。
出典
- ^ a b 「<文化施設を考える>札幌市民交流プラザ 活用探る*10月オープン 熊川哲也さん(旭川出身)ら芸術家が座談会*地元と劇場 制作で協力/オペラ、ダンスを身近に」北海道新聞2018年1月5日付朝刊全道21頁 (古家昌伸)
- ^ a b 「<コロナ 私の思い>バレエダンサー 熊川哲也さん(48)=旭川市出身*希望へ「導」示したい」北海道新聞2020年10月4日付朝刊全道28頁第二社会面
- ^ a b c d バレエ界の天才・熊川哲也が自身の20年を本音で語る!「完璧とはどういうものかをお見せしたい」ダ・ヴィンチニュース、2019年5月29日
- ^ 「プロ力 - 仕事の肖像」、30 - 31頁
- ^ 「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」48-49頁
- ^ 「Made in LONDON」、66 - 67頁
- ^ EUROVISION YOUNG DANCERS Poland's Paulina Bidzińska wins Eurovision Young Dancers 2017 - EUROVISION WORLD.COM
- ^ a b 「プロ力 - 仕事の肖像」、31 - 32頁
- ^ 「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」66頁
- ^ 「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」49頁
- ^ 「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」76-77頁
- ^ 「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」82頁
- ^ 「プリンシパルへの道 熊川哲也の青春」87-88頁
- ^ a b c 「プロ力 - 仕事の肖像」、41頁
- ^ 「プロ力 - 仕事の肖像」、33頁
- ^ a b 「プロ力 - 仕事の肖像」、34頁
- ^ 熊川哲也がBunkamura オーチャードホールの初代芸術監督に就任(シアターガイド、2011年6月28日)
- ^ “T JAPAN熊川哲也インタビュー”. 2018年8月30日閲覧。
- ^ a b c d e f g Purinshiparu eno michi : Kumakawa tetsuya no seishun. Dansu Magajin Henshūbu., ダンスマガジン編集部. 新書館. (1997). ISBN 4403310095. OCLC 676264592
- ^ a b c Tetsuya., Kumakawa,; 熊川哲也. (1998). Meido in London = Made in London. Tōkyō: Bungei Shunjū. ISBN 4163544704. OCLC 41395800
- ^ “Star defections damage Royal Ballet”. 2018年8月30日閲覧。
- ^ 1990年世界のエンターテイメント情報 別冊家庭画報. 世界文化社
- ^ 「ロンドン便り」1992年7月号
- ^ 「プロ力 - 仕事の肖像」、36 - 37頁
- ^ SCUDERIA No.114. 株式会社ネコ・パブリッシング. (2016-06-30)
- ^ 東京観光大使を任命|東京都
固有名詞の分類
- 熊川哲也のページへのリンク