煉瓦
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煉瓦のメリット
- 原材料の土と水が安く入手が容易[16]。
- 製造技術が低くても一定の規格・基準の製品が作れる[16]。
- 大工や石工、建築士などの技術がなくても家が建てられる[16]。
- 断熱性がある[16]。
- 焼成煉瓦は耐久性が50-100年ある[16]。
煉瓦建築
ヨーロッパでは煉瓦は古代から多くの建物に用いられてきたが、教会、宮殿、公共建築など本格的な建物の場合、構造が煉瓦造でも表面を漆喰や石で仕上げることが多い。赤煉瓦のままの建物は古風なものか、工場、倉庫など簡素なものである。しかし、イギリスなどで中世趣味のため、あえて赤煉瓦のままとすることがある。
アフリカ大陸の降水量の少ない地域では、古くから日干し煉瓦が用いられており、モロッコのアイット=ベン=ハドゥの集落やマリ共和国のジェンネなど、美しい町並みが世界遺産として評価され登録される例もある。
日本
日本で最初期に造られた煉瓦建築は幕末の反射炉である。ヘンドリック・ハルデス、レオンス・ヴェルニー、トーマス・ウォートルス、リチャード・ヘンリー・ブラントン等お雇い外国人の指導で官営事業を中心に煉瓦の製造、建設が始まった。1870年、日本初の煉瓦(当初は煉化あるいは煉化石とも呼ばれた)工場が堺県(現在の大阪府堺市)に設立された。銀座煉瓦街の建設の際は大量の煉瓦を必要としたため、東京の小菅に煉瓦工場が築かれた。日本では明治初期まではフランドル積み(フランス積み)構造が多く用いられた(長崎造船所、富岡製糸所、銀座煉瓦街等)が、その後はほとんどイギリス積みになった。フランドル積みの方がより優美に見えるが、イギリス積みの方が合理的で堅固であると考えられたためである[22]。例えば、東京駅の外壁を見ると、どの列にも小口が並んでおり小口積みのようであるが、これは表面仕上げに小口煉瓦を用いているためで、主構造はイギリス積みである。
明治中期頃には煉瓦職人も増え、一般的な技術の一つになった。煉瓦造建築は濃尾地震で被害を受けたため、鉄骨で補強する構造なども工夫された(赤坂離宮、東京駅など)。また、大正時代には鉄骨造建築の壁を煉瓦で造ったり(郵船ビルなど)、鉄筋コンクリート造建築の一部を煉瓦造とする混構造も見られた。しかし、煉瓦を構造に用いた建物は関東大震災で大きな被害を受けた。浅草の凌雲閣(十二階)が倒壊したことは象徴的であった。震災以降、煉瓦造は小規模な建物以外には用いられなくなり、鉄筋コンクリート造が主流になった。
煉瓦造の代表的建造物
- 北海道庁旧本庁舎 - 1888年(明治21年)築、赤レンガ。
- 函館中華会館 - 1910年(明治43年)築、赤レンガ。
- 日本聖公会弘前昇天教会教会堂(青森県弘前市) - 1920年(大正2年)築。赤レンガ、イギリス積み。青森県指定文化財。
- 秋田市立赤れんが郷土館(本館部分) - 1912年(明治45年)築、旧秋田銀行本店本館。
- 文翔館 - 1916年(大正5年)築、旧山形県庁舎 、赤レンガ石張り。
- 横利根閘門 - 1921年(大正10年)完成、土木構造物としてのパナマ式閘門。
- 富岡製糸場 - 1872年(明治5年)築、木骨赤レンガ
- 旧本庄商業銀行煉瓦倉庫 - 1896年(明治29年)築、赤レンガ、イギリス積み。国登録有形文化財。[24]
- ノリタケの森 - 1904年 赤レンガ建築、6本煙突、森村・大倉記念館 CANVASは経済産業省近代化産業遺産に認定されている。
- 上野図書館(国際子ども図書館) - 1908年(明治41年)〜1929年(昭和4年)築 構造は鉄骨で補強した煉瓦積、仕上げは白タイル。
- 赤坂離宮 - 1909年(明治42年)築、構造は石造及び鉄骨煉瓦造、外装仕上げは花崗岩貼り。
- 東京駅 - 1914年(大正3年)築、国内最大規模の煉瓦建築。空襲で被害を受け、復旧の際に3階建から2階建に改められたが、元の形に復原されている。
- 法務省旧本館 - 1895年(明治28年)築、旧司法省の庁舎。
- 誠之堂 - 1916年(大正7年)築、渋沢栄一に贈られたもので、世田谷に建てられた。保存のため、「大ばらし」工法で解体し深谷市に移築された。
- 立教大学 - 1918年(大正7年)築、赤煉瓦の校舎がキャンパスに並ぶ。
- 横浜開港記念会館 - 1909年(明治42年)築。
- 横浜赤レンガ倉庫 - 1911年(明治44年)築、赤レンガパーク。
- 猿島砲台(東京湾要塞) - 1884年(明治17年)築、現存する数少ないフランドル積の建造物。
- 韮山反射炉
- 旧高岡共立銀行本店(旧富山銀行本店) - 1914年(大正3年)築。
- 石川県立歴史博物館 - 明治時代末築。
- 名古屋市市政資料館 - 1922年(大正11年)築、旧名古屋控訴院地方裁判所区裁判所庁舎。
- 聖ヨハネ教会 - 博物館明治村に復元されている。
- 半田赤レンガ建物 - 1898年(明治31年)築、丸三麦酒(カブトビール)の醸造工場として建築された。現在は国の登録有形文化財で近代化産業遺産にも認定された。
- 舞鶴赤レンガ倉庫群 - 1900年(明治33年)〜1920年(大正9年)築。
- 同志社大学 - 1886年(明治19年)〜築、今出川キャンパスに国の重要文化財指定の煉瓦校舎5棟。
- 大阪市中央公会堂 - 1918年(大正7年)築。
- 泉布観 - 1871年(明治4年)築。
- 水道記念館 (大阪市) - 1914年(大正3年)築。
- 築港赤レンガ倉庫 - 1923年(大正12年)築。
- 煉瓦倉庫レストラン街 - 1898年(明治31年)築、ハーバーランド。
- 兵庫県公館 - 1902年(明治35年)築、旧兵庫県庁舎。
- 神戸文学館 - 1904年(明治37年)築、初代関西学院チャペル。
- 姫路市立美術館 - 1913年(大正2年)築。
- 犬島精錬所 - 1909年(明治42年)築、精錬所跡を利用した犬島アートプロジェクトの一部として再利用されている。
- 旧鐘紡洲本工場遺構 - 洲本アルチザンスクエア、洲本市立洲本図書館、旧鐘紡洲本第3工場汽缶室、旧鐘紡洲本工場原綿倉庫(明治時代末築)
- 海上自衛隊幹部候補生学校 - 旧海軍兵学校。
- 門司赤煉瓦プレイス - 1913年(大正2年)築。旧帝国麦酒株式会社のちにサッポロビール九州工場。現在は国の登録有形文化財で近代化産業遺産にも認定された。
- 福岡市文学館 - 1909年(明治42年)2月竣工。旧日本生命保険九州支店。1969年(昭和44年)3月、国の重要文化財に指定。
- 今村天主堂 - 1913年(大正2年)築の教会堂。2015年、国の重要文化財に指定。
- 三菱一号館 - もとは1894年(明治27年)築、ジョサイア・コンドル設計のオフィスビルで、1968年(昭和43年)に取壊された。もとあった場所に当初のままの工法(イギリス積み)でレプリカ再建することになり、2009年(平成21年)春に竣工。
- 菅島灯台 - 1873年(明治6年)築。煉瓦造灯台としては我が国現役最古。リチャード・ヘンリー・ブラントンの指導の下で建造された。現在は無人灯台となり、同時に建造された煉瓦造附属官舎は博物館明治村に移築保存されている。
赤煉瓦ネットワーク(煉瓦建築の保存を目的とした全国組織)による「20世紀 日本赤煉瓦建築番付」(2000年(平成12年)、藤森照信ら監修)に、上記の建築物のうち、東の横綱に東京駅、横浜赤レンガ倉庫、富岡製糸場、西の横綱に大阪市中央公会堂、江田島旧海軍兵学校、今村天主堂が選ばれた(ちなみにこの番付では国指定の重要文化財は年寄扱い)。
ホフマン窯
煉瓦を焼くために築かれたホフマン窯が日本国内に4か所ほど残っている。貴重な産業遺構である(栃木県、埼玉県等)。
煉瓦造風建造物
- 深谷駅 - 東京駅の煉瓦を焼いた工場が深谷にあったことから、煉瓦造風の駅舎を建てた。構造は煉瓦造ではなく、煉瓦タイルで装飾したものである。
ギャラリー
阪神なんば線 ドーム前駅のホーム壁
旧阪神電鉄尼崎発電所
半田赤レンガ建物
(愛知県半田市)旧信越本線碓氷第三橋梁 通称「めがね橋」
菅島灯台(三重県鳥羽市)
琵琶湖疎水南禅寺水路閣
フランドル積危険品庫。東海道本線藤枝駅。1889年(明治22年)建造。
ギャラリー(国産黎明期の代表的煉瓦の刻印)
現在の横浜市中区に存在したアルフレッド・ジェラールの煉瓦工場で1873年頃に製造された月桂樹刻印入り煉瓦。
リチャード・ヘンリー・ブラントンの指導の下、三重県渡鹿野島の瓦師竹内仙太郎が1872年頃に製造した菅島灯台建造用煉瓦。
現在の北斗市茂辺地に存在した開拓使茂辺地煉化石製造所1874年製煉瓦。小口面に刻印。
現在の北斗市茂辺地に存在した開拓使茂辺地煉化石製造所1875年製煉瓦。小口面に刻印。
現在の北斗市茂辺地に存在した開拓使茂辺地煉化石製造所1876年製煉瓦。小口面に刻印。
現在の北斗市茂辺地に存在した開拓使茂辺地煉化石製造所1878年製煉瓦。小口面に刻印。
愛知県の東洋組西尾士族就産所で1882年〜1885年にかけて製造された煉瓦の刻印部分。猿島要塞の建造等に使用された。
現在の京都市山科区に存在した琵琶湖疎水事務所煉瓦製造所で1886年〜1889年にかけて製造された琵琶湖疎水建造用煉瓦の刻印部分。
煉瓦関連の施設
- 日本の生産地
- 博物館など
- ^ デジタル大辞泉,世界大百科事典内言及. “磚とは” (日本語). コトバンク. 2022年5月18日閲覧。
- ^ 「煉瓦という建築材料は、日本の建築の歴史の中では、ごく最近建築に用いられはじめた材料」(清水慶一『建設はじめて物語』大成建設、16頁)
- ^ a b 建設コンサルタンツ協会誌 Consultant VOL.269 October 2015 著:水野信太郎 p013
- ^ “brick” (英語). www.etymonline.com. 2022年5月19日閲覧。
- ^ “Brickwork: Historic Development - Gerard Lynch”. www.buildingconservation.com. 2022年5月19日閲覧。
- ^ “Brick making” (英語). Heritage Crafts (2017年4月30日). 2022年5月19日閲覧。
- ^ ヴィッキー・レオン『古代仕事大全』原書房、2009年、292頁。
- ^ “消えた煉瓦の行方 - なぶんけんブログ”. www.nabunken.go.jp. 奈良文化財研究所. 2022年5月18日閲覧。
- ^ 日本煉瓦史の研究 〈オンデマンド版〉 著:水野信太郎、発行:法政大学出版
- ^ れんがの歴史(全国赤煉瓦協会)
- ^ フランドルはベルギー全土からフランス東北部の地名。日本では明治期に「フランス積み」と誤訳された。
- ^ a b わが国における鉄道用煉瓦構造物, p. 123–164.
- ^ “建築基準法施行令”. elaws.e-gov.go.jp. 2022年6月1日閲覧。
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- ^ a b c d e f g h 青山, 美和「インドにおけるレンガセクターからの大気汚染削減策に関する分析」『生産研究』第73巻第3号、東京大学生産技術研究所、2021年5月1日、 151-156頁、 doi:10.11188/seisankenkyu.73.151、2022年5月20日閲覧。
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- ^ “【動画】黄砂はどこから 万里の長城越えて行ってみた” (日本語). 西日本新聞me. 2022年5月20日閲覧。
- ^ Twitter (2015年10月9日). “How L.A. conquered an earthquake danger zone: Brick buildings” (英語). Los Angeles Times. 2022年5月18日閲覧。
- ^ 村松貞次郎『日本近代建築技術史』彰国社、58頁。
- ^ わが国における鉄道用煉瓦構造物, p. 325–355.
- ^ 旧本庄商業銀行煉瓦倉庫―保存再生活用に関わる第一期報告書―(平成24年、早稲田大学建築学科)
- ^ “Brick Tax 1784 -1850” (英語). 2022年5月20日閲覧。
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