湯江タケユキ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/09 06:11 UTC 版)
略歴
野々村真と同時期に「いいとも青年隊」のオーディションを受けるが落選して2週間で高校を辞めた後、原宿(明治通り沿い)のアパレルショップ「SURPLUS COMPANY」で働いていた(店員当時の姿は、雑誌『週刊セブンティーン』の1984年7月31日号に掲載されている)。かっこいい人がいると若い女性客の間で話題になり、渡辺プロダクションにスカウトされて契約する[4]。
俳優としては1985年のテレビドラマ『ハーフポテトな俺たち』、歌手としては1986年のシングル「HURRY UP」でデビュー。「HURRY UP」は本人も出演した森永製菓のアイス「PARI PARI BAR」のCMソングとしてOAされオリコン最高16位を記録。セカンドシングル「涙のLove Somebody」も最高15位とヒットし、歌番組などに多数出演した。当時のキャッチフレーズは、和製ジェームズ・ディーン。デビューに際して、少女マンガ雑誌『mimi』に「湯江健幸物語」が連載される一方、本格的なロック雑誌の表紙・グラビアを飾り、アイドルとロックファンの両方に向けて売り出された。
新人賞レースに多数ノミネートされ、1986年度第5回メガロポリス歌謡祭優秀新人エメラルド賞、第19回新宿音楽祭銀賞、第13回横浜音楽祭新人奨励賞、1986年FNS歌謡祭優秀新人賞などを受賞[5]。同期には少年隊、木村一八、諸岡ケンジ、山瀬まみ、西村知美、杉浦幸、斉藤さおり、勇直子などがいる。歌手として1987年1月にシングル「トラブル」をリリースした以降は俳優、タレント活動がメインとなったが、ライブ活動は継続していた。1988年をもって渡辺プロダクションを退社した後[5]、1年間の休止期間を経て俳優活動を再開し現在に至るが、2016年よりキンミヤ焼酎のサポートで商業的なライブ活動を再開している。
所属事務所は渡辺プロダクション、ヒロ・グループ(後にJVCエンタテインメントに統合、現・ハーキュリーズ)、エムズエンタープライズを経てパールダッシュ。
2009年にはSixeなどを創業したデザイナー・白谷直樹と共同プロデュースで「slow down」を、2011年4月には中野に期間限定のアパレルショップ「Simeon & Thea」開店。2年間、自らデザインと運営を行う。
2012年2月、デビュー25周年記念としてゲストに友人のNIGO、大鶴義丹を迎え渋谷Ruide K2にてライブを開催した。
2015年4月、アパレルのオリジナルブランド「MICKS」開始
2016年4月、デビュー30周年記念ライブを代官山「晴れたら空に豆まいて」にて開催。ゲストに友人の柳沢慎吾、大鶴義丹を迎える。
2017年より「湯江 健幸」から名前をカタカナにした「湯江 タケユキ」へ改名した。同時期に大鶴義丹と共演する形で出演した『有吉反省会』での言動が注目され[6]、バラエティー番組への出演が増えた。
- ^ “俳優の湯江健幸に女児誕生「とてもうれしく思います!」│ORICON NEWS”. ORICON (2015年3月3日). 2022年5月6日閲覧。
- ^ a b “湯江タケユキ、「Sexy Zone」中島健人、菅田将暉ら「若い俳優との共演を増やした」理由│Yahoo!ニュース”. Yahoo Japan (2018年11月21日). 2022年5月6日閲覧。
- ^ a b c 『DJ名鑑 1987』三才ブックス、1987年2月15日、162頁。
- ^ a b 週刊テレビ番組(東京ポスト)1985年10月11日号「プロフィル」40頁
- ^ a b c 「抱えきれない夢 渡辺プログループ40年史・資料編
- ^ 大鶴義丹が好き過ぎて1カ月に24回会っている俳優とは? ザテレビジョン、2017年11月7日
- ^ 1986年3月6日放送
- ^ FRIDAY、1985年10月25日号
- ^ 河北新報 1987年6月4日朝刊 24面「登場」コーナー
- ^ 金山一彦=Fish
- ^ FRIDAY、1986年11月7日号
- ^ a b “山下智久が主演「正直不動産2」2024年1月スタート、スペシャル版の放送日も決定”. 映画ナタリー (ナターシャ). (2023年9月3日) 2023年9月3日閲覧。
- ^ “9 ナイン : 作品情報”. 映画.com (2018年2月17日). 2019年7月1日閲覧。
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