注連寺 即身仏‐鉄門海上人 

注連寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/07 13:59 UTC 版)

即身仏‐鉄門海上人 

  • 注連寺には鉄門海上人(恵眼院鉄門海上人)の即身仏ミイラ)が厨子に納められており、公開されている。山形県内には庄内地方を中心に8体もの即身仏が安置されているが、そのうちの5体が注連寺系とされる
    • 鉄門海上人は1768年明和5年)鶴岡市の出身で、25歳の時に注連寺第69世の寛能和尚の弟子となり「鉄門海(「海」は空海の海)」の名を戴き一世行人となった。上人の足跡は北は北海道から南は四国にまで及び湯殿山信仰の布教に大きな業績を残した。3000日にもおよぶ苦行[5]を経て弘法大師空海と同一年齢の数え62歳で即身仏になったと伝えられる。この年齢以外の即身仏は伝染病の流行や飢饉などが発生した折、民衆の苦しみの救済を祈願し彼らの苦しみに成り代わって自ら即身仏になったといわれる[6]

御縁年および文人:森敦との縁

  • 月山文学碑(手前)と旧森敦文庫(右奥)
    出羽三山の奥の院である湯殿山と注連寺が開かれたのが丑歳であったことにちなみ、丑歳と迎え干支の未歳は「御縁年」として本尊の大日如来像が開帳される。
  • 森敦の揮毫による月山文学碑の碑文
    月山文学碑と森敦文庫 - 作家森敦(1912-1989)が昭和49年に芥川賞(第70回)を受賞した小説『月山』は、森自身が1951年(昭和26年)に注連寺でほぼ一年に亘って過ごした経験に基づいて描かれている。注連寺の境内にある月山文学碑(1981年(昭和56年)建立)と森敦文庫(1986年(昭和61年)開設)はその功績を後世に伝えるためのもの。注連寺は『月山』はじめ『われ逝くもののごとく(1987年刊、第40回 野間文芸賞受賞)』など森の著書に数多く登場する。なお、森敦文庫は建物の老朽化により取り壊され、文庫内に展示されていた収蔵品の一部は平成24年10月、鶴岡市馬場町にある鶴岡公園(鶴ヶ岡城址公園)内の『大宝館(郷土人物資料館)』に移設された。

所在地と交通

  • 所在地‐山形県鶴岡市大網字中台92-1
  • 交通
    • 車の場合‐庄内空港から45分.JR鶴岡駅から30分.山形自動車道庄内あさひICから15分、月山ICから40分.
    • バスの場合‐JR鶴岡駅から「湯殿山行」に乗車、大網で降車し徒歩20分.

  1. ^ 他に本道寺、大日寺、大日坊。ただし現存は注連寺と大日坊のみ。
  2. ^ 保角里志『南出羽の戦国を読む』 2012
  3. ^ 寒河江市史編さん委員会 『寒河江市史 上巻』、1994
  4. ^ 湯殿山の結界にある寺院「湯殿山 注連寺」中田英寿公式サイト
  5. ^ 五穀断ち・十穀断ち・山草や木の実だけを食べる木食(もくじき)など。
  6. ^ NHK 歴史秘話ヒストリア 「オレは即身仏になる!~“ミイラ仏”の不思議な世界~」 2015年6月3日放送


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