桶狭間 「桶狭間の戦い」の故地としての桶狭間

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桶狭間

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/19 22:08 UTC 版)

「桶狭間の戦い」の故地としての桶狭間

その他の桶狭間

桶狭間古戦場まつり

桶狭間古戦場まつり(おけはざまこせんじょうまつり)は、桶狭間の戦いの戦死者を慰霊するために催される祭りである。豊明市と名古屋市緑区でそれぞれ同名の祭りが開催されている。

豊明市の「桶狭間古戦場まつり」

開催日は毎年6月第1土曜日・翌第1日曜日で[107]、主催は桶狭間古戦場まつり実行委員会、共催は豊明市および豊明市観光協会である。土曜日には、国の史跡戦人塚(北緯35度3分25.1秒 東経136度59分43.7秒 / 北緯35.056972度 東経136.995472度 / 35.056972; 136.995472[注 15]において戦人塚供養祭、桶狭間古戦場伝説地において今川義元の墓前祭、香華山高徳院において今川義元の霊前祭が行われる。日曜日には、市民参加による武者行列が豊明市栄町内を練り歩き、その後香華山高徳院で合戦の様子を再現した寸劇が披露されるほか、火縄銃の発砲実演や棒の手演技、芸能発表、ハイキング大会、フリーマーケットなど、数々の催しが繰り広げられる[107]。 かつて、義元の死を悼み供養するという義元まつりであったが、義元だけでなく織田信長の偉業も讃えなければ義理が悪いのではないかという土川元夫(かつての名古屋鉄道株式会社取締役社長)の提案により、以来古戦場まつりとなったという[108]

名古屋市緑区の「桶狭間古戦場まつり」

開催日は桶狭間の戦いが勃発した5月19日の直前にあたる5月中の日曜日で[注 16]、主催は桶狭間学区区政協力委員会、桶狭間古戦場保存会、共催は有松商工会、有松桶狭間刊行振興協議会、桶狭間消防団、有松・桶狭間・南陵子ども会、和光山長福寺、桶狭間神明社などである[109]。桶狭間古戦場公園において桶狭間の戦いの戦死者に向けた慰霊式典が行われる。ほかに、公園では古武道演舞の奉納、芸能発表、和光山長福寺では歴史講演会の開催、和光山長福寺駐車場では屋台が建ち並んで飲食が可能となっている。史跡巡りのツアー、スタンプラリーなども同時に開催される[110]。夕刻になると、大池の周囲で3,500本のろうそくが灯される万灯会が行われる[109]

桶狭間区の氏神である桶狭間神社(2012年(平成24年)10月)。

桶狭間区

桶狭間区(おけはざまく)は、豊明市に存在する行政区である。桶狭間区はさらに桶狭間1、桶狭間2、桶狭間3、桶狭間4に分かれるが、全体の範囲は、おおむね豊明市栄町南舘のうち豊明市道大脇舘線の東側、ホシザキ株式会社本社敷地周辺、および豊明市栄町山ノ神とする。1960年(昭和35年)4月1日に当時の愛知郡豊明町が行政区の再編を行い第7区のひとつとして桶狭間を設置[111]、1972年(昭和42年)4月2日の再編により単独の桶狭間区に昇格している[111]。2013年(平成25年)4月1日現在の人口は2,238、世帯数は969を数えている[112]

桶狭間神社

桶狭間神社(おけはざまじんじゃ)は、豊明市栄町字山ノ神にある神社である(北緯35度3分28.4秒 東経136度58分59.1秒 / 北緯35.057889度 東経136.983083度 / 35.057889; 136.983083)。正式には神明社(しんめいしゃ)といい、1947年(昭和22年)に創建、祭神として鎮宅霊神を祀る[113]。地名にあるように元は山の神を祀っていたが、後年桶狭間区の氏神となり、神明社に改号している[113]

脚注

注釈
出典

  1. ^ 福島県いわき市の渓谷である背戸峨廊(せどがろう)は詩人草野心平によって名付けられたもので、背戸は隠れたところ、峨廊は美しい岸壁を意味するという[11]。なお、大字桶狭間に隣接する豊明市新栄町1丁目から2丁目にかけて、新栄町交差点(北緯35度3分28.1秒 東経136度59分22.9秒 / 北緯35.057806度 東経136.989694度 / 35.057806; 136.989694)から落合神明社(北緯35度3分21.5秒 東経136度59分19.2秒 / 北緯35.055972度 東経136.988667度 / 35.055972; 136.988667)にかけての一帯にも、かつて「背戸山」と呼ばれる字が存在した[12]
  2. ^ 桶狭間村が共和村と合併した時期について、やや不明瞭な点があることにも触れておきたい。愛知県が発行する『市町村沿革史』、また桶狭間村の受け皿であった共和村の後継自治体大府市による『大府市誌』は、1889年(明治22年)の市制・町村制施行時に桶狭間村が歴として存在していたことを示し、共和村との合併を1892年(明治25年)9月13日としている[26]。本項の記述もそれに依っている。他方、『有松町史』は共和村との合併の明確な年月日を記していないものの、文脈上、1888年(明治21年)4月の段階で愛知県により共和村と合併が強行されたような記述がなされており[27]、また1891年(明治24年)に隣村有松村で開かれた村会で「共和村大字桶狭間」との合併を満場一致で決議したことにも触れている[28]。そうであるとすれば、市制・町村制に基づく法人格を帯びた「桶狭間村」は一度も存在しなかったことになる。また、陸地測量部による50,000分の1地形図である『名古屋二號 熱田町』は1891年(明治24年)に測図し1900年(明治33年)に発行されたものだが、ここでも桶狭間村は存在せずに大字桶狭間とされている[29]
  3. ^ 有松村は1892年(明治25年)9月13日に町制施行し有松町になっている[28]
  4. ^ 「桶狭間北1丁目」は存在しない。
  5. ^ 名古屋市緑区から大府市にかけての付近。この谷間に沿って東海道本線が走る。
  6. ^ いくつか例を挙げれば、有松丘陵として大高緑地付近(54.6メートル、北緯35度3分47.2秒 東経136度57分20.1秒 / 北緯35.063111度 東経136.955583度 / 35.063111; 136.955583)、高根山(52.3メートル)、坊主山(59.1メートル、北緯35度2分23.5秒 東経136度58分28.5秒 / 北緯35.039861度 東経136.974583度 / 35.039861; 136.974583)、「おけはざま山」と推定されてきたうちのひとつの丘(64.9メートル、北緯35度3分18.5秒 東経136度58分38.4秒 / 北緯35.055139度 東経136.977333度 / 35.055139; 136.977333)、有松裏(55.3メートル、北緯35度4分4.8秒 東経136度58分35秒 / 北緯35.068000度 東経136.97639度 / 35.068000; 136.97639)、中京競馬場付近(57.2メートル、北緯35度3分47.5秒 東経136度59分22.9秒 / 北緯35.063194度 東経136.989694度 / 35.063194; 136.989694)、大清水(60.1メートル、北緯35度4分27.8秒 東経136度59分49.7秒 / 北緯35.074389度 東経136.997139度 / 35.074389; 136.997139)、二村山(71.8メートル、北緯35度4分18.6秒 東経173度0分24.5秒 / 北緯35.071833度 東経173.006806度 / 35.071833; 173.006806)などがあり、鳴子丘陵に滝の水緑地(63.7メートル、北緯35度5分25.1秒 東経136度59分2.1秒 / 北緯35.090306度 東経136.983917度 / 35.090306; 136.983917)、天白公園(60.1メートル、北緯35度7分2.5秒 東経136度59分13.1秒 / 北緯35.117361度 東経136.986972度 / 35.117361; 136.986972)、豊田工業大学敷地(三角点83.4メートル、北緯35度6分21.9秒 東経136度58分49.9秒 / 北緯35.106083度 東経136.980528度 / 35.106083; 136.980528)、平針付近(三角点88.1メートル、北緯35度6分21.9秒 東経136度58分49.9秒 / 北緯35.106083度 東経136.980528度 / 35.106083; 136.980528)などがある。ただし、昭和30年代以降の宅地開発などによる大がかりな土地の改変により、本来の地形や丘頂高度が失われていることにも留意しなければならない[38]
  7. ^ 「御林山」は尾張藩が公共用材の確保を目的として所有していた山林で、地元民の伐採などの原則として禁じ、保護林としている[62]
  8. ^ 「定納山」は毎年一定の年貢(下苅年貢米)を納めることで肥料・飼料・燃料となる下草・落葉の採取が許可されていた山林で、日常生活に欠かせない村の共有林でもある[62]
  9. ^ 「本田」とは慶長検地において石高が決定していた田畑をいう[62]。これにより、本田の開墾時期は多くが江戸時代以前であったことが推察できる。
  10. ^ ここでの「屋敷」とは居住家屋の集まった一帯を指す[62]
  11. ^ 湧水があり、低温状態の田をいう[67]
  12. ^ 「立合池」は2村以上の村民が共同で管理する池をいう[80]
  13. ^ 大池の裏手にあることからこの名で呼ばれたと考えられる[66]
  14. ^ 現知多郡東浦町。村木郷と呼ばれた戦国時代には今川方の支配下にあり、近隣の織田方武将であり緒川・刈谷両城主でもあった水野信元を牽制する目的で「村木ノ城」が築かれたが[103]、『信長公記』によれば1554年2月25日(天文23年1月24日)に織田方がこれを猛攻の末陥落させている(村木砦の戦い)[104]
  15. ^ 「戦人塚」は正確には国の史跡「桶狭間古戦場伝説地」の附(つけたり)指定である。
  16. ^ 桶狭間の戦いが勃発したのは旧暦の5月19日であるが、現在では日付をそのまま新暦の5月19日にスライドさせ、その直前の日曜日としているようである。
  1. ^ a b c d e f g h i j k l m n o 現地案内板より。
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