村上氏 隠岐村上氏

村上氏

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/21 00:29 UTC 版)

隠岐村上氏

隠岐国海士郡在庁官人で、後に海士郡の公文田荘両職を兼帯し、国人へと成長した。

越後国村上藩主村上氏

越後国村上藩村上頼勝村上忠勝。もと丹羽長秀家臣。丹羽氏の没落後は堀秀治の与力大名となり加賀国能美郡で6万6千石を領し、1598年(慶長3年)堀氏の越後移封にともない本庄9万石を領し、本庄を村上と改める。1603年(慶長8年)、3万石を加増され都合12万石となる。1610年(慶長15年)、堀氏お家騒動の後に高田藩松平忠輝の与力大名となる。1618年(元和4年)、家中騒動により改易された。

参考文献

  • 三原市役所 編 『三原市史』 第一巻《通史編一》、三原市役所、1977年2月15日。NDLJP:9573832 (要登録)

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注釈

  1. ^ 千葉県五井の品野(しなの)家に伝わる「諏訪神社縁起」によれば大永年間に信濃国村上義清が領地を与えられ、葛尾城を本拠として定め、信濃村上氏の基盤を築いたという。義清は甲斐国の武田信玄と戦となり、義清は上杉謙信に支援を求め越後に逃れたという。そして後に武田氏と和睦した義清は郎党を引き連れ、村上氏所縁の総州・村上城(千葉県市原市に存在した村上氏の居城の一つ)に在城したという。そして義清は信濃へ使いを送って諏訪大明神を村上城に勧請したという。そして信濃から神主を召し連れ「信濃関」と改名させ総州村上氏に代々仕えたという。

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