村上頼清と関東の戦乱
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/18 02:16 UTC 版)
村上中務大輔にかわり史上に現れるのは、氏祖の源頼清と同じ名を持った村上頼清で永享9年(1437年)に自ら将軍足利義教に出仕した記録がある。 前述の足利持氏と上杉憲実が前記の件から次第に関係がこじれて、ついに永享10年(1438年)8月、永享の乱が勃発する。永享の乱は上杉憲実に室町幕府が加担したために短期間で終わった。しかし、その持氏の遺児を擁して関東の雄、結城氏朝が挙兵し、永享12年(1440年)3月、結城合戦が起こると、村上氏をはじめ信濃国の有力国人たちも守護小笠原政康に従い出陣している。 この時代の村上氏の系譜 村上信泰 - 信貞 - 師国 - 満信 - 中務大輔(持清?)→村上頼清
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