本圀寺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/18 06:48 UTC 版)
本圀寺事件
本圀寺事件は、八月十八日の政変前日の文久3年8月17日(1863年9月29日)に当寺において発生した事件である。河田景与をはじめとする鳥取藩の尊王攘夷派藩士22名が、彼らを危険視する宿泊中の側用人黒部権之助、高沢省己、早川卓之丞の3名を惨殺、翌日18日彼らの残書により加藤十次郎が自殺した。この事件は因幡二十士事件、因幡二十二士事件とも呼ばれる。一方、側用人4名にこの事件で殺害された早川の家来の藤井金蔵を加えた5名は本圀寺五烈士あるいは本圀寺事件五烈士と呼ばれる。暗殺者のうち5名は慶応2年8月3日(1866年9月11日)、被害者の遺族により島根県の手結浦で仇討ちされている[7]。
脚注
参考文献
関連項目
- 妙顕寺 (京都市) - 京都日蓮宗の双璧をなす寺院。天明の大火で本圀寺とともに焼失した。
外部リンク
- ^ a b 大本山大光山本圀寺(日蓮宗ポータルサイト)
- ^ 一部の資料(本圀寺のウェブサイトを含む)に「光厳天皇から寺地を賜った」とあるが、同天皇は1345年時点では退位している。ここでは『日本歴史地名大系 京都市の地名』に従い「光明天皇」とする。
- ^ a b c d 平尾政幸「天文法華の乱の遺跡」(第255 回京都市考古資料館文化財講座連続講座「遺跡が語る戦国時代の京都」第5 回)、2014 年5 月24 日
- ^ フロイス日本史より
- ^ 寺伝では逆に山号の「光」と寺号の「圀」の一字ずつを水戸徳川家に贈って光圀の名となったというが、実際には光圀の「光」は3代将軍徳川家光の偏諱を受けたものである。
- ^ 京都寺社案内
- ^ http://tottori.rojo.jp/arikomati/kataki.html
本圀寺と同じ種類の言葉
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