旧本郷家住宅 概要

旧本郷家住宅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/08 23:40 UTC 版)

概要

旧本郷家住宅の建造物群は、江戸末期・明治大正昭和初期の各年代の建築物の特徴がよく表されており、当地方(横手盆地・秋田県の内陸南部)における近代住宅の展開を示す建築物群として建造物造形の規範として価値が高く、当時の建築を知る上で、非常に貴重な建築物群の一つであり、大仙市をはじめ秋田県の歴史を語る上でなくてはならない文化財の一つである。

2017年(平成29年)3月に、9代当主の本郷元から文化財登録建造物とその敷地が大仙市に寄贈された。2019年(平成31年)4月から積雪期を除く通年公開が開始されている。

文化財

主屋玄関

以下の4件が 国の登録有形文化財(建造物)に登録されている。

  • 登録日:2016年(平成28年)11月29日(官報告示)
  • 名称:旧本郷家住宅 (きゅうほんごうけじゅうたく)
  • 所在地:秋田県大仙市角間川町字西中上町
  • 構造・形式・規模(建築面積)
    • 主屋:1900年(明治33年)建築、木造平屋一部2階建、鉄板葺、建築面積396平方メートル
    • 文庫蔵:1867年(慶応3年)着工・1869年(明治2年)竣工、土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積263平方メートル(鞘屋含)
    • 洋館:1928年(昭和3年)建築、木造平屋建、鉄板葺、建築面積68平方メートル
    • 味噌蔵:1921年(大正10年)建築、土蔵造2階建、鉄板葺、建築面積66平方メートル

庭園

本郷家には、近代造園の祖と称される造園家長岡安平[注 1]による彩庭図(庭園設計図・彩色付)が現存しており、現在残る庭園の造園に反映されていると考えられることから、今後、敷地内の庭園造営の沿革等も含めた、さらなる文化財調査が求められる。

本郷家の沿革

元禄の終わり頃(18世紀初頭)、庄兵衛なる人物が、現在の横手市本郷地区から角間川に来て「能登屋市兵衛」方に奉公していたが、その働きぶりが評価されて現在地の辺りに独立した。同人が本郷家の初代で、以降7代まで「吉右衛門」を襲名した。「本郷」の苗字は、初代の出身地にちなむものである。[1] 3代吉右衛門が、18世紀末から19世紀にかけての頃、角間川一帯で商いを大きくし、財を成し、間口も逐次拡げていき、その頃以降、代々農地を集積して「在方(ざいかた)商人地主」としても成功し、明治期には秋田県屈指の大地主となった。

本郷家の商いは雄物川の舟運と深く関わっていたが、1905年(明治38年)の奥羽本線開通により舟運が衰退し、角間川の繁栄にも陰りが見え始める。それでも1924年(大正13年)の農務局の調査では、まだ345町歩(ha)の農地(本郷家・本郷合名会社の合計)を所有していたことが分かるが、第二次世界大戦後の農地改革によりそのほとんどを失った。

本郷家は、「秋田の腐れ米」の改善に取り組む秋田改良社の設立に関与したり(6代吉右衛門)[2]、雄物川通船貨物保険の運営に当たるなど、地域の農業や経済の発展に大きく貢献している。

明治期の秋田三大地主

雄物川舟運により角間川が繁栄を極めていた明治中期に発行された「秋田縣大地主名鑑」(明治22年)には、池田甚之助家(旧高梨村・大正期に東北三大地主)、辻兵吉家(秋田)に次ぐ、秋田3大地主として記されている。

明治天皇行在所

1881年(明治14年)の明治天皇の東北・北海道御巡幸の際に、本郷家には天皇の旅先の御所となる行在所が置かれ、当主(6代吉右衛門)が一人拝謁を許されている。[3]

歴程賞を受賞した詩人 本郷隆

詩人・本郷隆(1922年 - 1978年)は7代吉右衛門の三男として、この家に生まれ育った。1949年(昭和24年)に中央公論社に入社後、校閲の仕事の傍ら、草野心平ら著名な詩人たちとの交流を深めながら、詩作や詩を論じる著作に情熱を傾けた。詩集「石果集」の刊行により、1971年(昭和46年)、詩の世界では最高峰とされる藤村記念「歴程賞」を受賞している。他方、郷土への思いも深く、地元を中心に小中学校の校歌の作詞を多数手がけた。なかでも本郷隆作詞による大曲中学校校歌「よく生きよ 若人よ」は大作として知られる。[4]


注釈

  1. ^ 長岡安平は、「近代造園の祖」、また「近代公園の先駆者」とも称される明治期から大正期の造園家である。芝公園もみじ谷(東京都)や札幌大通り公園(北海道)のほか、秋田県では千秋公園(秋田市指定名勝)、旧池田氏庭園(大仙市所在、国の名勝)他多数を設計している。角間川町における長岡安平造園作品群については、関連作品群と連携させた広い範囲での調査研究の進展が望まれている。

出典

  1. ^ 『大仙市文化財調査報告書 第26集 河港のまち角間川・歴史まちづくり事業基本計画〜雄物川舟運の歴史を伝える建造物等を活かしたまちづくりの推進〜』2017年 秋田県大仙市・大仙市教育委員会 P15
  2. ^ 『大仙市文化財調査報告書 第26集 河港のまち角間川・歴史まちづくり事業基本計画〜雄物川舟運の歴史を伝える建造物等を活かしたまちづくりの推進〜』2017年 秋田県大仙市・大仙市教育委員会 P15
  3. ^ 『大仙市文化財調査報告書 第26集 河港のまち角間川・歴史まちづくり事業基本計画〜雄物川舟運の歴史を伝える建造物等を活かしたまちづくりの推進〜』2017年 秋田県大仙市・大仙市教育委員会 P15〜16
  4. ^ 『大仙市文化財調査報告書 第26集 河港のまち角間川・歴史まちづくり事業基本計画〜雄物川舟運の歴史を伝える建造物等を活かしたまちづくりの推進〜』2017年 秋田県大仙市・大仙市教育委員会P16
  5. ^ 『大仙市文化財調査報告書 第26集 河港のまち角間川・歴史まちづくり事業基本計画〜雄物川舟運の歴史を伝える建造物等を活かしたまちづくりの推進〜』2017年 秋田県大仙市・大仙市教育委員会 P3〜4





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