平良修 経歴

平良修

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/26 13:49 UTC 版)

経歴

太平洋戦争末期の1944年、旧制宮古中学1年のとき台湾に疎開し、翌年敗戦を迎える。1945年宮古島に帰島し宮古中学(後の新制宮古高校)に復学。1948年宮古島で国中寛一(くになかかんいち)牧師より受洗キリスト教信仰に入る。その後、琉球大学英文科、東京神学大学国際基督教大学ピーボディ大学米国テネシー州ナッシュビル)などで学ぶ。沖縄キリスト教団上地教会牧師、沖縄キリスト教短期大学学長、日本基督教団佐敷教会牧師を経て現在は日本基督教団うふざと伝道所牧師を務めた[1][2]。2016年から2020年まで日本基督教団沖縄教区総会議長の2期目を務めた[3]

1966年11月2日、当時34歳でフェルディナンド・T・アンガー第五代琉球列島高等弁務官就任式に祈祷牧師として招かれ、「神よ、新高等弁務官が最後の高等弁務官となり、沖縄が本来の正常な状態に回復されますように」と祈り、注目を集めた [4] [5] [6] [7]。この祈りは日本語と英語の両言語で行われた。 琉球列島高等弁務官は米国の施政権下にあった当時の沖縄において絶対的な権限を有する最高権力者であった。高等弁務官の支配する沖縄の世相を切り取ったドキュメンタリー映画『サンマデモクラシー』(2021年;山里孫在監督/沖縄テレビ制作)は、高等弁務官の上からの締付けに対して沖縄の人々がどのように抵抗したのかを描き、その文脈の中に平良修の就任式での祈りを置いている。 沖縄手帳社が毎年出しているスケジュール帳の「沖縄手帳」は、11月2日の歴史的出来事として『アンガー高等弁務官着任式にて平良修牧師「神よ、願わくば最後の弁務官たらしめよ」と祈念(1966)』と記載している。


  1. ^ 『沖縄にこだわりつづけて』新教出版社、2002年、著者紹介。
  2. ^ 『こころの時代・イエスと歩む沖縄』NHK教育テレビ、2013年12月22日放送
  3. ^ 『沖縄教区・新議長に平良修氏 三役一新』日本基督教団教団新報、2016年7月4843号
  4. ^ https://ryukyushimpo.jp/news/entry-1029192.html 琉球新報
  5. ^ https://digital.asahi.com/articles/ASMCP5TVTMCPUEHF00B.html 朝日新聞
  6. ^ https://www.archives.pref.okinawa.jp/search_materials/photo/searchpics/picsdetail?pid=47874 沖縄県公文書館「写真が語る沖縄」分類名:B0103 写真番号:46-02-3
  7. ^ https://www.archives.pref.okinawa.jp/search_materials/photo/searchpics/picsdetail?pid=47991 沖縄県公文書館「写真が語る沖縄」分類名:B0103 写真番号:49-36-3





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