小林大悟
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/30 02:20 UTC 版)
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スターベク時代の小林大悟(2009年) | ||||||
名前 | ||||||
愛称 | ダイゴ | |||||
カタカナ | コバヤシ ダイゴ | |||||
ラテン文字 | KOBAYASHI Daigo | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1983年2月19日(40歳) | |||||
出身地 | 静岡県富士市 | |||||
身長 | 178cm | |||||
体重 | 72kg | |||||
選手情報 | ||||||
ポジション | MF | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
1998-2000 | 清水商業高等学校 | |||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2001-2005 | 東京ヴェルディ | 104 | (4) | |||
2006-2009 | 大宮アルディージャ | 90 | (14) | |||
2009 | →スターベク (loan) | 29 | (8) | |||
2010 | イラクリス | 14 | (0) | |||
2011-2012 | 清水エスパルス | 29 | (0) | |||
2013 | バンクーバー・ホワイトキャップス | 30 | (2) | |||
2014-2017 | ニューイングランド・レボリューション | 95 | (2) | |||
2018 | ラスベガス・ライツFC | 32 | (4) | |||
2019-2021 | バーミングハム・リージョンFC | 41 | (0) | |||
代表歴2 | ||||||
2002-2003 | 日本 U-20 | |||||
2006[1] | 日本 | 1 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2021年11月5日現在。 2. 2006年8月9日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
略歴
清水商高時代から佐野裕哉と共に知名度があり、卒業後東京ヴェルディ1969へ入団。翌年からはチームの主軸として確固たるレギュラーポジションを掴む。更に、ユース代表に選出されAFCユース選手権2002では準優勝。翌年の2003 FIFAワールドユース選手権への出場を果たした[2]。
2004年には第84回天皇杯優勝の立役者として活躍。しかし、2005年にヴェルディのJ2降格が確定、その直後は「必ず1年でJ1に復帰します」と決意を口にしていたが、その後のフロントの対応に不信感を抱き、「共に戦ってきた選手達が解雇されたり、チームを離れなければならない状況になり、僕達はチームに本当に必要とされているのかわからなくなってしまいました」と自らのブログにて悩んでいる心境を吐露。年をまたぎ2006年1月に大宮アルディージャへの移籍を決断した[注釈 1]。また移籍発表後、自身のブログに移籍に対する批判や中傷が相次ぎブログを一時閉鎖した。
2006シーズン開幕直後、トップ下でゴール・アシストを連発し攻撃を牽引するなど、更に才能を開花。この大宮での活躍で日本代表のイビチャ・オシム監督にも注目されA代表に初選出。8月9日の対トリニダード・トバゴ戦でA代表デビューを果たした[1]。その後はコンディションやチーム状況により代表には呼ばれていないが、技術の高さは秀逸。誠実な人柄が出ているブログは多くのファンに支持されている。また2006年、2007年と二年連続でJOMOオールスターサッカーに出場している。
2009年1月、ノルウェー1部リーグのスターベクから獲得の正式オファーを受け[3]、29日からスターベクの練習に参加[4]。 2月2日にスターベクへの1年間のレンタル移籍が発表された[5]。日本人で最初のノルウェーリーグ選手となる。
ノルウェーでは持ち前のテクニックで攻撃的MF(主に左サイド)のポジションを獲得し、CL予備戦ではFCコペンハーゲン、UEFAヨーロッパリーグではバレンシアなどの強豪チームとの対戦も経験した。これらの活躍によりスタバエクへの完全移籍は確実と思われたが、スタバエクの財政難に加え小林の年俸が高額なためこれを断念した。
2010年1月27日ギリシャ・スーパーリーグのイラクリス・テッサロニキFCへの移籍が決まった。これは移籍金の発生しない自由移籍で契約期間は18ヶ月間。2011年の夏までとなっている。同年2月14日のパニオニオス戦に89分から出場しリーグ戦初出場を果たし、終盤にはウインガーとして定位置を確保した。
2011年、清水エスパルスへ移籍。日本でのプレーは3年ぶりとなる。
清水では背番号10を託されるなど、主力として期待されていた。しかし、持病の腰痛が思わしくなく、開幕から出遅れると復帰後も途中出場がほとんどであった。シーズン中盤さらに腰痛が悪化したため、腰痛の完治を目指し手術に踏み切る[6]。結果、残りのシーズンをリハビリに費やすこととなる。
2013年1月、メジャーリーグサッカーのバンクーバー・ホワイトキャップスへ完全移籍[7]。
バンクーバーでは30試合に出場し2得点を記録したが、契約更新には至らず2014年2月26日、ニューイングランド・レボリューションに加入した[8]。
2014年はレギュラーとして活躍しており[注釈 2]、2014年12月7日に開催されたMLSカップ決勝戦では後半途中から交代出場した[注釈 3]。
2018年はUSLプロフェッショナルリーグのラスベガス・ライツFCでプレイ[9]。2019年から2021年までは、USLチャンピオンシップのバーミングハム・リージョンFCでプレイした[10]。
2022年に現役引退。 2023年にパリ・サンジェルマンアカデミーJAPANのテクニカルダイレクターに就任した[11]。
所属クラブ
- ユース経歴
- プロ経歴
- 2001年 - 2005年 東京ヴェルディ1969
- 2006年 - 2009年 大宮アルディージャ
- 2010年 イラクリス・テッサロニキFC
- 2011年 - 2012年 清水エスパルス
- 2013年 バンクーバー・ホワイトキャップス
- 2014年 - 2017年 ニューイングランド・レボリューション
- 2018年 ラスベガス・ライツFC
- 2019年 - 2021 バーミングハム・リージョンFC
出典
- ^ a b c “小林 大悟”. サッカー日本代表データベース
- ^ “FIFA Player Statistics: Daigo KOBAYASHI” (英語). 国際サッカー連盟. 2013年9月6日閲覧。
- ^ スポーツ報知 (2009年1月28日). “大宮・小林大が日本人初ノルウェー移籍へ”. 2009年1月28日閲覧。
- ^ 大宮アルディージャ公式サイト (2009年1月28日). “小林大悟選手海外クラブへの練習参加のお知らせ”. 2009年1月28日閲覧。
- ^ 大宮アルディージャ公式サイト (2009年2月2日). “小林 大悟選手期限付移籍のお知らせ”. 2009年2月2日閲覧。
- ^ 日刊スポーツ (2011年9月22日). “清水小林腰痛手術、全治4カ月今季絶望”. 2012年3月13日閲覧。
- ^ 清水エスパルス (2013年1月24日). “小林大悟選手 バンクーバーホワイトキャップス(MLS)へ完全移籍決定のお知らせ ”. 2013年1月24日閲覧。
- ^ Qoly.jp (2014年2月27日). “小林大悟がNEレヴォリューションへ移籍”. 2014年3月2日閲覧。
- ^ “LIGHTS FC Q&A WITH ... MIDFIELDER DAIGO KOBAYASHI”. Las Vegas Lights FC (2018年3月8日). 2018年3月18日閲覧。
- ^ “Birmingham Legion FC Re-Signs Midfielder Daigo Kobayashi”. Las Vegas Lights FC (2021年3月24日). 2022年6月13日閲覧。
- ^ 日刊スポーツ (2023年6月2日). “昨季限りで引退の小林大悟氏はPSG日本アカデミーTDに 将来は世界に選手輩出目指す”. 2023年8月30日閲覧。
注釈
固有名詞の分類
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