実行教 実行教の概要

実行教

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/04 23:30 UTC 版)

實行教(じっこうきょう)
実行教本部
設立 1878年(明治11年)
設立者 柴田花守
種類 宗教法人
本部 埼玉県さいたま市北区盆栽町377
座標 北緯35度55分33.1秒 東経139度37分39.1秒 / 北緯35.925861度 東経139.627528度 / 35.925861; 139.627528座標: 北緯35度55分33.1秒 東経139度37分39.1秒 / 北緯35.925861度 東経139.627528度 / 35.925861; 139.627528
道主 柴田尋之
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概要

不二道の第十世であった柴田花守(咲行)が1878年(明治11年)に「実行社」を組織し、1882年(明治15年)に教派神道の一派として独立し「実行教」となる[1]

扶桑教と同じく開祖を長谷川角行とし、伊藤身禄派に連なる[2]

つまり五世食行身禄(じきぎょう みろく。伊藤身禄のこと)の三女の一行此花(六世伊藤一行)とその養子である七世伊藤参行に連なる[2]。参行に、別の富士講に所属した小谷三志が師事し拡大していった[2]。八世となった三志は富士信仰の呪術的性格よりも実行を重んじ[3]、「不二考」としたが、1838年天保9年)に「不二道」となった[4]。ここから2派が別れ、ひとつが宍野家が広めた扶桑教、もうひとつが柴田家が広めた実行教である[5]

実行教では、まず修行努力の方向を示す行名を授与され、修行が満足に達せられると成功を称える三名が授与される。

歴代道統および管長

  • 不二道開祖 長谷川角行
  • 不二道統第二世 黒野日行日玵
  • 不二道統第三世 赤葉澰行玵心
  • 不二道統第四世 森月行劊忡
  • 不二道統第五世 伊藤食行身禄
  • 不二道統第六世 伊藤花子一行
  • 不二道統第七世 伊藤参行六王
  • 不二道統第八世 小谷禄行三志
  • 不二道統第九世 徳大寺参行三息
  • 不二道統第十世(實行教初代管長)[1] 柴田咲行三生(柴田花守[1]
  • 不二道統第十一世(没後道統に拝列さる) 鵜殿中行三親[1]
  • 不二道統第十二世(實行教二代管長) 柴田忠行三恕[1]
  • 不二道統第十三世(實行教三代管長) 柴田中行三守(柴田孫太郎[1]
  • 不二道統第十四世(實行教四代管長) 柴田謹行三美(柴田道守[1]
  • 不二道統第十五世(實行教五代管長) 柴田辰行三禮(柴田辰彦[1]
  • 不二道統第十六世(實行教六代管長) 柴田尋之

所在地




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