如意寺 (群馬県みなかみ町)とは? わかりやすく解説

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如意寺 (群馬県みなかみ町)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/28 04:24 UTC 版)

如意寺
所在地 群馬県利根郡みなかみ町上津2578
位置 北緯36度40分07.3秒 東経138度58分39.4秒 / 北緯36.668694度 東経138.977611度 / 36.668694; 138.977611座標: 北緯36度40分07.3秒 東経138度58分39.4秒 / 北緯36.668694度 東経138.977611度 / 36.668694; 138.977611
山号 鳥越山
宗派 曹洞宗
本尊 釈迦如来
創建年 室町時代中期
開基 如意姫
中興年 享禄4年(1531年
中興 行芝継善
文化財 上杉謙信の供養塔、如意寺の天井絵(以上、みなかみ町指定重要文化財)
公式サイト 如意寺 群馬県利根郡みなかみ町月夜野
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如意寺(にょいじ)は、群馬県利根郡みなかみ町にある曹洞宗寺院

歴史

室町時代中期、如意姫の開基である。如意姫は名胡桃城城主「三郎景冬」の姉である。才色兼備の美女であり、に赴き後宮に入った。そして後花園天皇の寵愛を受け、天皇の子を身籠ったが、女房女官)らの嫉妬に耐えかねて、1458年長禄2年)に帰郷し、男児を産んだ。皇子が誕生したことで、母の如意姫はたいそう喜んだが、1462年寛正3年)に、3歳でこの世を去った。如意姫は出家して庵を結び、皇子の菩提を弔うことになった。これが当寺の由来である[1][2]

1531年享禄4年)、月夜野の玉泉寺第6世住職の行芝継善が当寺を中興した。行芝継善は曹洞宗の僧侶であり、当寺も曹洞宗の寺院となった[1][2]

1944年昭和19年)より、学童疎開の一環として、東京都板橋区の志村第三国民学校(現・板橋区立志村第三中学校)の児童を受け入れた[2]

文化財

  • 上杉謙信の供養塔(みなかみ町指定重要文化財 昭和45年4月1日指定)[3]
  • 如意寺の天井絵(みなかみ町指定重要文化財 平成28年3月17日指定)[3]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b 稲葉博 著『関東古社名刹の旅2(群馬・栃木・茨城編)』読売新聞社、1987年、10-12p
  2. ^ a b c 如意寺について如意寺
  3. ^ a b みなかみ町管内の指定文化財みなかみ町

参考文献

  • 稲葉博 著『関東古社名刹の旅2(群馬・栃木・茨城編)』読売新聞社、1987年

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