女房は生きていた 制作の背景

女房は生きていた

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/12/07 06:28 UTC 版)

制作の背景

この映画の脚本は、レオ・マッケリーサミュエル・アンド・ベラ・スピワック英語版による1940年の映画『ママのご帰還』の脚本を下敷きに、アーノルド・シュルマン英語版ナナリー・ジョンソン英語版ウォルター・バーンステイン英語版の3人が初期の草稿を作成し、それを最終的にハル・カンター英語版ジャック・シャー英語版が仕上げたものである。1940年の映画については、作中でもエレンがビアンカにマッサージをする場面で言及されている。ストーリーは、アルフレッド・テニスン1864年物語詩「イノック・アーデン (Enoch Arden)」を喜劇的に作り直したものであり、主人公夫妻の姓アーデンもそこに由来している。この作品は、テニスン卿のこの詩を基にした7作品目の映画である。

この映画は、もともとはマリリン・モンローのカムバック作として、『Something's Got to Give』という仮題の下で制作されていた。ニック・アーデン役は、当初ジェームズ・ガーナーを想定していたものの、ガーナーが『大脱走』の撮影に時間をとられていたため、ディーン・マーティンが起用され[3]、監督はジョージ・キューカーであった。しかし、モンローは撮影現場に姿を見せないこともしばしばで、制作の初期段階で降板させられ、彼女が登場する使用可能な映像は30分ほどしか撮影されなかった。制作者側は、モンローの代役にリー・レミックを立てて撮影を続行しようとしたが、マーティンはモンロー以外の相手では演じないと言い張った。結局、モンローが復帰することとなったが、撮影を再開する前に彼女は死んでしまい、この作品は結局完成することはなかった。映画を完成できず、また既に相当額の投資を制作やセットの建設に費やしていた20世紀フォックスは、このプロジェクトを継続する決定を下し、タイトルを改め、監督をマイケル・ゴードンに交代させ、新たなキャストで本作を制作した。キャストのうちキューカー監督の『Something's Got to Give』と共通しているのはグレイス・アーデンを演じたセルマ・リッターだけである。

ジェームズ・ガーナーは、マッサージの場面で、バーゲンからデイを引き離そうとする演技の際に、誤ってデイの肋骨を骨折させてしまった。翌日の撮影で、デイに腕を回した際に包帯が巻かれていることに気づくまで、ガーナーは何が起こったのかまったく気づいていなかった。

この作品では、先行したキューカー監督版に使われたアーデン邸の内部や、セットとして組まれた「外部」が流用されたが、このセットはビバリーヒルズのコーデル・ドライブ (Cordell Drive) 9166番地に実在したキューカーの自宅を基にしたものであった。しかし、ゴードン監督のバージョンでロケーション撮影されたアーデン邸は、3マイル(およそ5km)ほど西にあるホルムビー・ヒルズ英語版のサウス・メイプルトン・ドライブ (South Mapleton Drive) 377番地で撮影された。映画に撮影された新古典主義建築の家は、後に巨大なイタリアネイト建築英語版に建て替えられた。

ドリス・デイが出演する場面の撮影では、彼女が洗車機を車で通る場面が最後に撮影されたが、これは、洗剤の化学物質が彼女の皮膚に何らかの影響を引き起こすことを虞れてのことであった。制作者側がデイにこの意図を説明したのは、この場面の撮影が、何の問題もなく無事終了した後のことで、その後はこの逸話が映画の宣伝にも使われた。

この映画は、合衆国内では12,705,882ドルの興行成績を残し[2]1963年の映画の中では最もヒットした作品のひとつとなり、『クレオパトラ』に巨費を投じていた20世紀フォックスを支える一助となった。合衆国内の劇場への貸与料 (theatrical rentals) は600万ドルに達した[4]


  1. ^ Solomon, Aubrey. Twentieth Century Fox: A Corporate and Financial History (The Scarecrow Filmmakers Series). Lanham, Maryland: Scarecrow Press, 1989. ISBN 978-0-8108-4244-1. p253
  2. ^ a b Box Office Information for Move Over, Darling. The Numbers. Retrieved September 5, 2013.
  3. ^ Garner, James & Winokur, Jon The Garner Files: A Memoir Simon & Schuster; (November 1, 2011)
  4. ^ Solomon p 229. この数字は貸与料だけの金額である。






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