哲学 定義

哲学

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/27 05:00 UTC 版)

定義

辞書による定義

日本語辞典広辞苑では、次のように説明している。

古代ギリシアでは学問一般を意味し、近代における諸科学の分化・独立によって、新カント派論理実証主義現象学など諸科学の基礎づけを目ざす学問生の哲学実存主義など世界人生根本原理を追求する学問となる。認識論倫理学存在論などを部門として含む。 — 『広辞苑』第五版、岩波書店、1998年、「哲学」より

観念論的な形而上学に対して、唯物論的な形而上学もある[12]。諸科学が分化独立した現在では、哲学は学問とされることが多いが、科学とされる場合もある[13][注 6][注 7]

科学と学問以外に、哲学の分野の包括的な用語としては、学(science・Wissenschaft)[14] があり、広辞苑は次のように説明している。

現実の全体あるいはそれの特殊な諸領域または側面に関する系統的認識。哲学ないし専門諸科学を含む。 — 『広辞苑』第五版、岩波書店、1998年、「哲学」より

哲学者による哲学の定義

近現代哲学において代表的な哲学者の言説を以下に記述する。

啓蒙思想時代の哲学者であり、またドイツ観念論哲学の祖でもあり、そして近現代哲学に大きな影響力を持ち続けている哲学者、イマヌエル・カントは、哲学について次のように説明している。

古代ギリシャの哲学は、三通りの学に分かれていた。すなわち――物理学倫理学および論理学である。この区分は、哲学というものの本性にかんがみてしごく適切であり、これに区分の原理を付け加えさえすれば、格別訂正すべき点はないと言ってよい。 — イマヌエル・カント、『道徳形而上学原論』、篠田英雄訳、岩波文庫、1976年、5頁、「序言」より

現代思想において、特に分析哲学に多大な影響を及ぼした哲学者、ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタインは、哲学について次のように説明している。

哲学の目的は思考の論理的明晰化である。
哲学は学説ではなく、活動である。
哲学の仕事の本質は解明することにある。
哲学の成果は「哲学的命題」ではない。諸命題の明確化である。
思考は、そのままではいわば不透明でぼやけている。哲学はそれを明晰にし、限界をはっきりさせねばならない。 — ルートヴィヒ・ウィトゲンシュタイン、『論理哲学論考』、野矢茂樹訳、岩波文庫、2003年、51頁より

現代思想において、特に大陸哲学に多大な影響を及ぼした哲学者、マルティン・ハイデッガーは、哲学について次のように説明している。

古代以来、哲学の根本的努力は、存在者の存在を理解し、これを概念的に表現することを目指している。その存在理解のカテゴリー的解釈は、普遍的存在論としての学的哲学の理念を実現するものにほかならない。 — マルティン・ハイデッガー、『存在と時間』上、細谷貞雄訳、ちくま学芸文庫、1994年、19頁、「序に代えて」より

語源とその意味

古典ギリシア語の「フィロソフィア」(古希: φιλοσοφίαphilosophia、ピロソピアー、フィロソフィア)という語は、「愛」を意味する名詞「フィロス」(φίλος)の動詞形「フィレイン」(φιλεῖν)と、「知」を意味する「ソフィア」(σοφία)が結び合わさったものであり、その合成語である「フィロソフィア」は「知を愛する」「智を愛する」という意味が込められている[8][9]。この語はヘラクレイトスヘロドトスによって形容詞動詞の形でいくらか使われていたが[15]、名称として確立したのはソクラテスまたはその弟子プラトンが、自らを同時代のソフィストと区別するために用いてからとされている。

古典ギリシア語の「フィロソフィア」は、古代ローマラテン語にも受け継がれ、中世以降のヨーロッパにも伝わった。20世紀の神学者ジャン・ルクレール(en:Jean Leclercq)によれば、古代ギリシアのフィロソフィアは理論や方法ではなくむしろ知恵・理性に従う生き方を指して使われ、中世ヨーロッパ修道院でもこの用法が存続したとされる[16]。一方、中世初期のセビリャのイシドールスはその百科事典的な著作『語源誌』(: Etymologiae)において、哲学とは「よく生きようとする努力と結合した人間的、神的事柄に関する認識である」と述べている[17]

翻訳語

英語をはじめとした多くの言語で、古希: φιλοσοφίαをそのまま翻字した語が採用されている。例えば、: philosophia: philosophy: philosophie: Philosophie: filosofia: философия: falsafah‎などである。

日本で現在用いられている「哲学」という訳語は、詳細な経緯は諸説あるが、大抵の場合、明治初期の知識人西周によって作られた造語和製漢語)であると説明される[18][19][20][21][8][9]。少なくとも、西周の『百一新論1874年(明治7年)に「哲学」という語が見出される[注 8]。そこに至る経緯としては、北宋の儒学者周敦頤の著書『通書』に「士希賢」(士は賢をこいねがう)という一節があり[22]、この一節は儒学の概説書『近思録』にも収録されていて有名だった[23]。この一節をもとに、中国の西学(日本の洋学にあたる)が「賢」を「哲」に改めて「希哲学」という語を作り、それをフィロソフィアの訳語として転用した[20]。それを西周が借用して、さらにここから「希」を省略して「哲学」を作ったとされる[20]。西周は明治政府における有力者でもあったため、「哲学」という訳語は文部省に採用され、1877年(明治10年)には東京大学の学科名にも用いられ、以降一般に浸透した[9][18][24]。なお、西周は「哲学」以外にも様々な哲学用語の訳語を考案している[注 9]

漢語の本場である中国では、西周が作った「哲学」という訳語が、いわば逆輸入されて現在も使われている[19]。経緯としては、民初1900年代前後)の、主に変法運動期の知識人たちが、同じ漢字文化圏に属する日本の訳語・和製漢語を受容したことに由来する[25][26]

「哲」という漢字の意味(および同義字)は「賢人・知者(賢)、事理に明らか(明)、さとし(敏)」などがある[27]。字源としては、会意形声文字で「口」+「折(音符)」から。「折」は一刀両断すること[28]

「理学」

「哲学」という訳語が採用される以前、日本や中国では様々な訳案が出されてきた[21]。とりわけ、儒学用語の「」あるいは「格物窮理」にちなんで、「理学」と訳されることが多かった[20]

17世紀末の中国に訪れたイエズス会ジュリオ・アレーニ(艾儒略)は、西洋の諸学を中国語で紹介する書物『西学凡』を著した。同書のなかでフィロソフィアは、「理学」または「理科」と訳されている[21][29]

日本の場合、幕末から明治初期にかけて、洋学(西洋流の学問一般)とりわけ物理学(つまり後述の自然哲学)が、「窮理学」と呼称されていた[18][30]。例えば福沢諭吉の『窮理図解』は物理学的内容である。のちに文明開化が進んで西洋の諸学が正式に輸入されると、様々な訳案が出されたが、なかでも中江兆民はフィロソフィアを「理学」と訳した[18][29]。具体的には、兆民の訳書『理学沿革史』(フイエ Histoire de la Philosophie の訳)や、著書の『理学鉤玄』(哲学概論)をはじめとして、主著の『三酔人経綸問答』でも「理学」が用いられている(ただし、いずれも文部省が「哲学」を採用した後のことだった[18])。なお、兆民は晩年の著書『一年有半』で、「わが日本古より今に至る迄哲学無し」「総ての病根此に在り」と述べたことでも知られる[31]

上述の中国の変法運動期の知識人の間でも、「哲学」ではなく「理学」と訳したほうが適切ではないか、という見解が出されることもあった[32][33]

「理学」が最終的に採用されず、「哲学」に敗れてしまった理由については諸説ある。上述のように「理」は既に物理学に使われていたため、あるいは「理学」という言葉が儒学の一派(朱子学宋明理学)の同義語でもあり混同されるため、あるいはフィロソフィアは儒学のような東洋思想とは別物だとも考えられたため、などとされる[18][33]。上記の西周や桑木厳翼も、本来は「理学」と訳すべきだが、そのような混同を避けるために「哲学」を用いる、という立場をとっていた[34]。この件に関して、明治哲学界の中心人物の一人・三宅雪嶺は、晩年に回顧して曰く「もしも旧幕時代に明清の学問(宋明理学と考証学)がもっと入り込んでいたならば、哲学ではなく理学と訳すことになっていただろう」「中国哲学インド哲学という分野を作るくらいなら理学で良かった」「理学ではなく哲学を採用したのは日本の漢学者の未熟さに由来する(漢学は盛んだったがそれでもまだ力不足だった)」という旨を述べている[18][21]


注釈

  1. ^ : Φιλοσοφία(フィロソフィア)、羅: philosophia、仏: philosophie、独: Philosophie
  2. ^ : φιλόσοφος(フィロソフォス)
  3. ^ 紀元前古代ギリシア哲学から19世紀前半頃にかけて[要出典]
  4. ^ アイザック・ニュートンのようにかつて哲学者と呼ばれていたが、現代では哲学者とは看做されない人物がいる一方で、ゴットフリート・ライプニッツのように依然として哲学者と看做される人物もいる[要出典]
  5. ^ 19世紀以降、特に19世紀後半あたりから大学制度内で知識の位置づけの再編が行われるようになり、ドイツなどでは文化科学自然科学などの分類が採用され、それまで学問の総称であった哲学は文化科学のひとつと、かなり限定的であると同時に具体的な位置づけになった[要出典]
  6. ^ 哲学に関する学問は人文科学に含まれる。出典は広辞苑。
  7. ^ 哲学は「自然および社会,人間の思考,その知識獲得の過程にかんする一般的法則を研究する科学」である。出典は、青木書店『哲学事典』。
  8. ^ 百一新論』 - 国立国会図書館
  9. ^ 西周は主觀客觀・概念・觀念歸納演繹・命題・肯定否定理性悟性現象・藝術(リベラルアーツの訳語)・技術など、西欧語のそれぞれの単語に対応する日本語を創生した。
  10. ^ 実存哲学とも呼ばれる。
  11. ^ 例えば、「とは何か」
  12. ^ 例えば、「理性は人間にとって生与のものか」
  13. ^ 例えば、「諸存在の本質はひとつであるとする立場と、諸存在の本質は多様であるとする立場の主な争点は何か」
  14. ^ 主題の追求の方法として、「頭の中で、言葉なくして思考し、言葉を表出させる」、つまり現代で言えば言葉による象徴化の作用を伴う明晰化や、ソクラテス的な問答法、対話、弁証法、観想等がある。
  15. ^ 今日では神の存在の合理的な説明の試みも迷信的に映るのが大部分であるが、数学理論や観測技術の発展など時代の制約を考慮する必要がある。また、根源的・本質的な部分においてこの問いは解明されたとすることはできないだろう。
  16. ^ そもそも教義を持たない宗教[要出典]もあるので、全ての宗教がドグマを絶対視するわけではない。
  17. ^ 仏教ではその成立期においては(原始仏教)、外の超越者を持たなかったため「神」へのタブーそのものが無く、内観など別の形で哲学的思考が発達したとされる。一方、仏陀は神々なる存在を徐々に観念に置き換えようとする試みをしていた、という心理学者の意見[要出典]もある。また日本の仏教では、例えば親鸞が、理屈抜きに阿弥陀如来の救いを信じるよう説いていた。
  18. ^ もっとも、哲学にも師の考え・言葉をそのまま数百年間継承した歴史もあることや、神学の中で様々な論争があったり、新たな宗派・教派が生まれ続けていたりすることもあり、単純化して比較することは困難である。
  19. ^ 不思議なことに、脳の特定の箇所を刺激すると、「白い光に包まれたような感じがした」、「キリストの姿を見た」等と被験者が告げる現象が、脳科学者[誰?]から多数報告されている。たいていそれらは、いわゆる宗教的な高揚感を伴っていた。脳科学者の中には必ずしも「神」を否定しない人、肯定する人もおり、彼らは宗教者むけに「神が己の恩寵を感知する器官を人に授けた」のかもしれない、といった解釈を伝える。
  20. ^ 著作をものさず、主に討論に時間を費やしたソクラテスの思想は彼の死後弟子達の著作によって残り、またプラトン・アリストテレスの影響力は中世ヨーロッパに至るまで、分野によっては近代まで、多大なものがあった。
  21. ^ プラトンは数学・幾何を重要視し、フランシス・ベーコンは科学的な発見・発明を重んじた。
  22. ^ デカルトは、懐疑主義のどのような途方もない想定をもってきても、「わたしは考える、故にわたしは存在する」という彼にとっての真理は覆せず、よって彼はこれを哲学の第一原理とした。
  23. ^ 例えば太陽の周りを惑星が円軌道を描いて回転しているというアリスタルコスの仮説は、後世のコペルニクスによって(おそらくそうと意識してではないだろうが)復活させられた。後のケプラーが、軌道が太陽を中心としてではなく焦点とした楕円状であることを見いだし、次いでニュートンが、軌道が厳密には楕円でさえないことを発見した。仮説は、どんなに突飛に見えようと、自然を新たな見方でとらえることを可能にし、ある程度まで科学の進歩に寄与することが'ありうる'。
  24. ^ もっとも、物理学の哲学の一分野としての時空論においては、哲学者と物理学者のより密接なコラボレーションが実現している。
  25. ^ ただし近年では数学基礎論コンピュータサイエンスとの学際化が進展しており、哲学の一分野とは言いにくい状態になりつつある。
  26. ^ アリストテレスは論理学において長い間至高の地位を占め続けた。彼のもっとも重要な業績は三段論法の説である。古代ギリシャ人は演繹を重要視する半面、帰納を軽視した。帰納法の発展は近代においても真に遅々たるものであった。
  27. ^ 日本哲学会における女性会員の比率は1割に満たない。男女共同参画ワーキンググループ (2006年3月4日). “日本の文系学会における女性役員等比率”. 日本哲学会. 2008年8月6日閲覧。
  28. ^ 川村院長が言うには、ほとんど全ての生物が持っているPEA(リン酸エタノールアミン)は「喜びなどの感情」に関係する物質であり、これが主に存在する場所は脳神経細胞の軸索細胞膜で、その他には肝臓動脈心筋[65]。脳と血中物質の関係は非常に密接であり、PTSD患者の場合も「PTSDの原因となるトラウマを経験してから10年以上が経っていたにもかかわらず、免疫力が通常の4分の1にまで低下していた」と院長は言う[66]
  29. ^ フランセーンはストックホルム大学で哲学を専攻し、1987年に「Ph.D.(哲学)」を取得[67]。ルレオ工科大学でのフランセーンのページによると、「(哲学における)自分の博士論文 “my PhD thesis (in philosophy)”」は世界各国の大学図書館で閲覧できる[70]
  30. ^ 原文は"Es gibt allerdings Unaussprechliches. Dies zeigt sich, es ist das Mystische"[81].
  31. ^ また、森岡正博は「現代において哲学するとはどのようなことなのか」において、次のようなことも述べている。 「もし、現代社会とそこに生きる人間の姿を問うことをその中心に据える哲学があるとすれば、それは文献学・解釈学を中心に据える哲学ではなく、自分自身がこの社会を生きるその実践のプロセスのただ中において思索を深めていくという形の実践学を中心に据える哲学になるはずだ」(p.25)「実践学としての哲学においては、テキスト読解のかわりに、実人生と実社会の読解が入り口となる」「重視されるのは、テキスト解釈ではなく、『フィールドワーク』である。」「『私がよりよく生き、よりよく死ぬ』ために哲学をしている」「それをめざすためにはいくらテキストを読んでも解釈していてもだめなんだということが分かった」「そこから足を洗い、そのかわりに、自分の人生そのものをフィールドとして、自己とは何か、現代社会とは何か、他者とは何かを自分の頭とことばで気の済むまで探究しているのである」「われわれが知らない過去の無数の哲学者たちは、なんのことはない、こういう営みを日々続けていたのだろうから、私もまたそれをするだけのことなのである。」(p.27)「私がいう実践学というのは『実践』についての哲学的議論をするということではない。」「そうではなくて、この私やあなたが、実際に、この世界のなかで実践していくということだ」(p.27)
  32. ^ 哲学者タレスが貧乏であったために、フィロソフィアと貧困を勝手に結び付け、哲学は役に立たないとの印象を誤って持つ者が現れた。だからタレスは自分の知識を応用してたくさんお金を儲けて見せることで、フィロソフィアは全てに関するものを(実用的な知識まで含めて)含んでいて、哲学者はそれを活かすことができるのであって、自分の利便や金儲けなどが一番重要だと感じている、その感情、考え方が実はおかしいことを哲学者は知っており、その重要なこと、別の意味で本当に役に立つこと、を探求しなければならないから探求しているのだ、ということを示したのである。それは、例えば、古代ギリシャにおいては倫理的な探求だったのだ。

出典

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    大浜晧『朱子の哲学』東京大学出版会、1983年2月
    市川安司『朱子哲学論考』汲古書院、1985年5月、ISBN 978-4413007719
    竹村牧男『禅の哲学―自己の真実を尋ねる』沖積舎、2007年7月、ISBN 978-4806046752
    大浜 晧『老子の哲学』勁草書房、1986年6月新装版、ISBN 978-4326150250
    ウェイン・W・ダイアー『老子が教える 実践 道の哲学』PHP研究所、2012年3月15日、ISBN 978-4569776415
    小島祐馬、宇野哲人 共著『中国の古代哲学―孟子・老子・荘子・韓非子』講談社学術文庫、2003年2月、ISBN 978-4061595835
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  50. ^ 『哲学者とは何か』中島義道
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  59. ^ 八木雄二『天使はなぜ堕落するのか 中世哲学の興亡』春秋社、2009年12月25日、ISBN 978-4-393-32330-4、p161
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  102. ^ 種村完司「カレン・グロイ『「ポスト哲学の時代」における哲学』(翻訳)とそれへの短評」『鹿児島大学教育学部研究紀要. 人文・社会科学編』第54巻、鹿児島大学、2003年3月18日、 67-80頁、 NAID 110004993843 PDF5頁以降
  103. ^ 「現代において哲学するとはどのようなことなのか」森岡正博(森岡正博全集第一巻P19-28 1999年)
  104. ^ Politics,1259a
  105. ^ 参考文献:バートランド・ラッセル『西洋哲学史1』市川三郎訳,みすず書房、p.35






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