吉川英治 家族・親族

吉川英治

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/22 10:02 UTC 版)

家族・親族

  • 妻 やす、文子
    • 長男 英明
    • 二男 英穂
    • 長女 曙美
    • 二女 香屋子
    • 養女 園子 - 東京大空襲で戦災死。

系譜

吉川家は江戸時代小田原藩の下級武士であり祖父・銀兵衛は徒士並五石二人扶持で根府川番所につとめた。元々は「きっかわ」とよんだと吉川英治は語っている(『忘れ残りの記』)。

銀右衛門━銀右衛門━銀右衛門・・・勇助━銀兵衛━直広━┳英次━┳英明
                           ┣くに ┣英穂
                           ┣きの ┣曙美
                           ┣かゑ ┣香屋子
                           ┣素助 ┗園子
                           ┣はま
                           ┣きく
                           ┣ちよ
                           ┣すえ
                           ┗晋

エピソード

馬主

1956年(昭和31年)までは競走馬馬主としても有名だった。馬主となったのは1939年(昭和14年)で、親友でやはり馬主だった菊池寛に勧められて馬主となったものであるが、特に戦後には数々の有力馬を所有していたことで名高い。中でもケゴンは1955年(昭和30年)の第15回皐月賞を優勝している。他にもケゴンの全姉でスプリングステークスなど重賞5勝の牝馬チエリオなどがいる。

しかし、1956年(昭和31年)の第23回東京優駿(日本ダービー)で、出走した愛馬エンメイが1コーナーで発生した混乱に巻き込まれて落馬・転倒する事故が起き、エンメイは脚部骨折のために予後不良と診断され殺処分となり、鞍上だった阿部正太郎騎手も騎手生命を絶たれる瀕死の重傷を負った。当日の吉川は仕事のために大阪におり、競馬場で直接事故を目撃したわけではなく、事故に対して勿論吉川は一切非が無かったのだが、この一件で大きなショックを受け、程なく競馬の世界からすっぱりと手を引いてしまい、二度と戻ることは無かった。

その後の吉川は、当時は体調が優れなかったこともあり医師の勧めでゴルフを始め、これが競馬に代わる晩年の趣味となったという。

軽井沢

他の多くの文士と同様、長野県軽井沢町別荘を所有していた。文士仲間とのゴルフにも興じた。近所の三笠宮崇仁親王の別荘に招かれたこともあった[9]。また吉川は夏だけでなく秋まで滞在していたようで、「人がいなくなってから、高原はほんとうに高原のよさを見せてくる」などと随筆に記している[9]

軽井沢での交友関係は以下の通り。

「秋というと、近所隣も、みな空家ばかりだが、夏の軽井沢は、人間離れどころではない。ジャーナリズム網も張られているので、雑魚のぼくらまで御難にかかる。放送、座談会、対談、口述、写真、訪問記など、いやおうなく、現地徴用にひっかかる。また友人たちにもしきりに会った。池島信平氏、獅子文六氏、立野信之氏、舟橋聖一氏、服部之総氏、松本新八郎氏、野村胡堂氏、石坂洋次郎氏、佐佐木茂索氏、川口松太郎氏、村山知義氏。かぞえきれない。とくに珍客は、嘉治隆一氏が、おりふし夏季講座に来ていたハアヴアド大学で文学専攻のミラア教授夫妻を案内されたことだった。短期間だったが、ミラア教授とのはなしは非常におもしろかった。嘉治氏がそのときの印象を十一月号の小説公園に書いている。笠信太郎氏、浦松佐美太郎氏などがみえたときは、土地の正宗白鳥氏だの、梅原龍三郎画伯、横山美智子氏、川口氏、野村氏、石坂夫人、ぼく夫婦などを、一夕招宴してくれた。室生犀星氏は微症で見えなかったが、当夜の会も愉快だった。去年は、やはりこういう顔ぶれに志賀直哉氏を加えて、改造社の山本実彦氏がきもいりの会をしてくれたが、その山本氏は今年はもう他界の人だった。そういえば、その山本実彦氏の未亡人と御子息が、ことし山荘を訪ねてくだすった日は、軽井沢特有な霧小雨の日で、実彦氏の生前ばなしが出るたびに、未亡人の瞼があからむのに胸の傷いたむおもいを共にした。」(吉川英治『随筆 新平家』, 1958年)[9]

吉川死後には、軽井沢野間省一邸にて故吉川英治の一周忌が軽井沢の仲間内で行なわれている[10]。集まった人物は、円地文子、生沢朗(生沢徹父)、石坂洋次郎、丹羽文雄川端康成、川口松太郎、源氏鶏太井上靖壺井栄芝木好子白川渥水上勉阿川弘之井上友一郎柴田錬三郎石川達三富田常雄[10]

2011年には、軽井沢で蕎麦店を経営していた吉川英治の孫が大麻所持容疑で逮捕されている[11]

脚注

[脚注の使い方]

  1. ^ 「吉川英治と明治の横浜 : 自伝小説『忘れ残りの記』を解剖する」(横浜近代文学研究会編)は、山元町商店街の「梅ノ湯」という銭湯の辺りとする。現在ではマンション「ランドシティ横濱」
  2. ^ 文壇・詩壇・歌壇の三百五十人が参加『東京朝日新聞』(昭和12年1月19日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p705 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  3. ^ 『回想の日本海軍』(原書房)所収の、「吉川英治先生と海軍」
  4. ^ 「吉川英治氏が250万円で筆頭 芸能人の所得番付」『日本経済新聞』昭和24年4月12日2面
  5. ^ 菊池賞受賞者一覧”. 日本文学振興会. 2021年8月22日閲覧。
  6. ^ 「吉川英治記念館 入館者減で閉館 20日最終日」毎日新聞2019年3月17日
  7. ^ 吉川英治記念館、あすオープン 青梅市の施設として再出発 「新たなファン開拓したい」:東京新聞 TOKYO Web” (日本語). 東京新聞 TOKYO Web. 2021年2月26日閲覧。
  8. ^ 文化財ニュース 2003, p. 第3号.
  9. ^ a b c 吉川英治『随筆 新平家』(1958年)青空文庫リンク : 随筆 新平家
  10. ^ a b 『石坂洋次郎』(学習研究社, 1973年)176頁
  11. ^ 吉川英治氏の孫を大麻所持容疑で逮捕 神奈川県警 日本経済新聞(2011年2月10日)






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