協和銀行 主要株主

協和銀行

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/24 05:40 UTC 版)

主要株主

以下の企業は前身行にあたる日本貯蓄の系譜から主要株主に連ねていた企業の一部(銀行保険業)である。融資先によっては、主要株主となっている(いた)ところもある。

キャラクター

1981年マスコットキャラクターディック・ブルーナミッフィー(うさこちゃん)を採用した。一般に「ミッフィーの銀行」として知られ、顧客獲得の決め手となった。埼玉銀との合併後の協和埼玉銀でも引き続きミッフィーが使用された。

1991年1月1日からの銀行のテレビCM解禁の方針に沿って、地味な銀行の印象を変えたいと将来を見据え、当時の中高生の間で人気を博していた中山美穂イメージキャラクターとして起用した[6][7]。また協和埼玉銀発足後には中山のほか、埼玉銀のイメージキャラクターであった緒形拳鷲尾いさ子の3人が個別あるいは一緒に訴求対象に応じたCM等に出演していた[8]

脚注


注釈

  1. ^ 現在は(東京)本部機能を木場、営業部門を後楽に移転している。
  2. ^ この他、横浜市に本店を置く都南貯蓄銀行が統合に参加する予定であったが、結局横浜興信銀行(現在の横浜銀行)と合併する事で不参加となった。
  3. ^ 1970年代初頭頃までは日本国内で最大の店舗数を有していた。
  4. ^ 当時、地方店舗を多く持つ他銀行も、出店規制兼合いで、地方店舗を廃止する一方大都市近郊に新規出店する措置を採っていた。尚譲渡先には太陽神戸銀行(現三井住友銀行)や後の合併相手でもある大和銀行、各地域の地元銀行など。これは協和銀行時代に限らず後身のあさひ銀行になっても同様の手法での営業譲渡を行っていた。初期には埼玉銀行や、大阪銀行(住友銀行の一時期の行名)に譲渡されていた店舗もある。

出典

  1. ^ a b c d 『エコノミスト』p.47
  2. ^ a b 「先取り合併 加速する金融再編 「協和・埼玉」合併の波紋 上」『朝日新聞』1990年11月14日
  3. ^ 「蛇の目が重い 協和埼玉銀、あす発足 経済TODAY」『朝日新聞』1991年3月31日
  4. ^ a b 『エコノミスト』p.6
  5. ^ 『エコノミスト』p.7
  6. ^ 「銀行がCM解禁に向けタレント獲得競争」『朝日新聞』1990年5月13日
  7. ^ 「印象派競う銀行CM」『朝日新聞』夕刊 1991年2月20日
  8. ^ 「協和埼玉銀行 1+1=3 CMキャラクター3人を使いわけで」『日経金融新聞』1991年5月8日


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