公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/21 10:12 UTC 版)
概要
1946年(昭和21年)1月4日附連合国最高司令官覚書「公務従事ニ適シナイ者ノ公職カラノ除去ニ関スル件」に基づいた勅令。
公職を「国会の議員、官庁の職員、地方公共団体の職員及び議会の議員並びに特定の会社、協会、報道機関その他の団体の特定の職員の職等」と定義し、「公務従事に適しない者」として連合国最高司令官覚書に掲げる条項に該当する者が公職に在る場合は退職させるものとし、退職しない場合は20日間(特に必要がある事例は30日)経過すれば失職するものとした。また覚書該当者は公選公職候補者となることができず、恩給や年金の受給資格を喪失することとなり、覚書該当者の三親等内の親族及び配偶者は公選公職を除き、覚書該当者の指定があった日から10年間は覚書該当者が覚書該当者として退職した公職の就任が禁止された。例外規定として、覚書該当者について余人を以て代えることが困難な事情がある場合は対象外となる規定などあった。
以下に該当する者は3年以下の懲役若しくは禁錮又は1万5000円以下の罰金の刑事罰が規定された。
- 内閣総理大臣又は都道府県知事が徴する「公職追放に関する審査における調査表」における重要事項の虚偽記載又は不提出
- 公職適否審査委員会の審査における、資料提出や事実説明を求められた際に拒否又は重要事項の虚偽資料提出
- 公選公職候補者について関連届出等において選挙候補者が覚書該当者でないことを証明する確認書の写を選挙長に提出する際の不正の行為
- 覚書に基いて報告書を連合国最高司令官に提出する際に重要事項の虚偽記載
- 覚書該当者の公選公職候補者に関する届提出・選挙運動・政治活動
- 覚書該当者の覚書該当者としての指定理由となる団体執務場所における住居・事務所の設置(日常生活の必要がある場合や正当な理由がある場合は対象外)
- 覚書該当者の重要役職の退職拒否・就任
- 覚書該当者の職務執行又は政治活動における、公職への指示・勧奨・意思・利益供与等で、公職をして覚書該当者に代わって支配継続を実現するような行為
- 覚書該当者の命令に基づく届け出拒否又は重要事項の虚偽記載
- 法務総裁の資料提出命令における、提出拒否又は重要事項の虚偽記載
この勅令は1947年1月4日、公職追放令の改正(昭和22年勅令第1号)、公職追放令施行令の改正(同年閣令第1号)によって公職の範囲を広げ、戦前・戦中の有力企業や軍需産業、思想団体の幹部、多額寄付者なども公職追放の対象とした[1]。その結果、1948年5月までに20万人以上が追放される結果となった。
1950年6月6日の吉田茂首相宛マッカーサー書翰で、日本共産党幹部の公職追放を指令した。占領の目的である日本の民主化を妨げる勢力として、共産党中央委員24名の名前を挙げ、SCAPIN548(ある種類の政党、協会、結社その他の団体の廃止)並びに550(好ましくない人物の公職よりの除去)に基づく公職追放を指令している[2]。
公職追放令は1952年4月28日のサンフランシスコ平和条約発効と同時に施行された「公職に関する就職禁止、退職等に関する勅令等の廃止に関する法律」(昭和27年法律第94号)により廃止された[3]。
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